肝臓がんに蝕まれ37歳の若さで逝った市川雷蔵
<1969年7月>
看護師が喉に吸引器を差し込み痰(たん)を除去すると、市川雷蔵は「ああ、気持ちがいいな」と呟いた。それから5分後、雅子夫人(当時28)にみとられながら雷蔵は静かに息を引き取った。7月17日午前8時25分、享年37。大映トップスターのあまりに早すぎる最期だった。
異変が起こったのは前年6月。撮影中に下血。それまでにも便に血が混じることはあったが、雷蔵は特に気に留めていなかった。稽古が厳しい歌舞伎界では血便は珍しいことではなかったからだ。だが、それを聞いた義兄で大映副社長の永田秀雅はすぐに雷蔵を順天堂医院(東京・本郷)に入院させた。診察の結果、雷蔵に告げられた病名は急性直腸潰瘍。しかし、雅子夫人には本当の病名が明かされていた。直腸がんである。
8月中旬に開腹手術を受け、無事成功。夏の間は療養に専念していたが、11月には早くも映画の現場に復帰。最初の仕事は雷蔵の当たり役「眠狂四郎」シリーズの「悪女狩り」だった。1カ月足らずで撮り終えると、すぐに「博徒一代血祭り不動」の撮影に入った。