肝臓がんに蝕まれ37歳の若さで逝った市川雷蔵
それからわずかでも寿命が延びたのは雷蔵の仕事復帰への強い思いと、抗がん剤の効果だった。一方で薬の副作用が雷蔵の心身を蝕(むしば)んでいた。髪は真っ白になり、頬はこけ、皮膚が骨に張りついたようになっていた。
雷蔵は見舞いをほとんど断った。変わり果てた姿を誰にも見られたくなかったのだ。亡くなった際も、故人の遺志をおもんばかって顔には白い布がかけられ、それが外されることは決してなかった。
雅子夫人と幼い3人の子どもを残し夭逝(ようせい)した雷蔵。その損失は家族にとっても映画界にとってもあまりに大きかった。一番のドル箱を失った大映は、それからわずか2年後の71年、倒産に追い込まれたのだった。
◇1969年7月 14日、「馬の画伯」と親しまれた洋画家の坂本繁二郎が老衰のため死去。87歳。20日、米アポロ11号のアームストロング船長が人類として初めて月面に降り立った。日銀と大蔵省は29日、6月の国際収支が2億8000万ドルを超え過去最高を記録と発表。