山路徹さん 戦場から戻ったら“女子アナと親密交際”怪文書
その後、紆余曲折はあったものの、ニュース番組のレギュラーも持たせてもらっていた2010年。次は大桃美代子さんの“ツイッター爆弾”が炸裂、不倫騒動の勃発です。
あの件は記者会見で話した通り、「すべて私が悪い」。これに尽きるのですが、またまた大逆風で、仕事がかなり減りました。
そんな折の11年3月11日、東日本大震災が起きて当日から仲間と福島原発の周辺地域に取材に入りました。現場の状況を伝えなければと思ったからです。
大災害直後の現場取材は混乱してるからすごく難しくて、かなり神経も使います。
ところが、南相馬市の桜井勝延市長(当時)を訪ねたら、顔を見るなり、「あ、山路さん」。避難所に足を運んでも「山路さん、わざわざ来てくれたの?」と言われました。
ワイドショー効果で、良くも悪くも顔と名前が売れていて、自己紹介する必要がなかった。そのおかげで取材は思った以上にスムーズでした。スキャンダルが逆にハードルを低くしてくれたのですから、“禍福はあざなえる縄のごとし”。