<77>俳優・金子信雄に「女体盛り」芝居の台本を頼まれた
題名は「妙王の歓喜祭」。
「楽しい夕食」がスタートした翌年、1988年3月に、東京・六本木の俳優座で上演している。
「俳優座って小屋代が高くてね、使いにくいんだよ。そのくせキャパがないから、チケットを高くしないと割が合わない。でもそうなるとキャストだって、それなりに揃えなきゃならないってなるから、どうやったって赤字になるんだよな。やっぱり千田是也(俳優座の創設者)は役者であって経営者じゃないんだよ。考え方が根本的に違うんだと思う。そりゃあ、バックヤードもしっかりしているし、演じる方からすればいい小屋だろうね。でも、やれば赤字になるのが分かりきってるから、なかなか借り手がいねえんだろうな」
もっとも当時の金子にとって儲けは度外視できた。やりたいことをやれることの方が大事だった。
「ネコさんからは、芝居の中で料理をして観客みんなに食べさせるって話にしてくれって注文があった。ただし、普通の料理じゃない。『俺は女体盛りっていうのをやりてえんだよ、牛ちゃんよう』ってね。裸の女性の上に料理を並べたいっていうわけさ。『あのね、映画じゃないんですから、女優さんがうんと言わないでしょ? 客の前で裸になるのは嫌でしょ?』って言ったんだけど、『それは言わせる。任せとけ』って。それで1人の女優さんが、人身御供だよな、裸にされてさ。ほいでもって、その上でぱあって、料理をやったんだよ、本当に」
ストリップの舞台ではない。ちゃんとしたお芝居である。火事にあった伊豆の山寺を再建するためにホテルに改装、住職が花板となって振る舞うのが「女体盛り」――。そんな奇想天外なストーリーだった。 =敬称略(つづく)
(取材・文=二口隆光/日刊ゲンダイ)