「かいば屋のご縁で口上書きは野坂昭如先生、表紙の絵は滝田ゆう先生が描いてくれた」
1972年、二つ目に昇進して雲助と改名したが、当時「雲助」というのは、乱暴でガラの悪いタクシー運転手を指す侮蔑語だった。
「(先代)志ん馬師匠が可愛がってくれて、ラジオのリポーターの仕事を紹介してくれることになったのに、ダメになった。『番組のスポンサーが、イメージが合わな…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り898文字/全文1,038文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】