長嶋の横浜大洋監督就任を潰したのは財界の大物だった
招聘の意思を公にして失敗に終わった81年とは異なり、84年の長嶋大洋入りの根回しは密かに行われていた。本人もその気になっていたのだが、土壇場になってご破算になってしまった。ある大物財界人の反対にあったからだという。その人は瀬島龍三氏(故人・円内)。太平洋戦争中は大本営参謀で戦後は伊藤忠商事会長などを務めた実業家だ。長嶋は日頃、瀬島氏にいろいろと相談にのってもらっていた。
「長嶋さんは野球人だから、またユニホームを着たい気持ちは強かった。現場に戻れるなら、球団に対するこだわりも当時は特別なかった。それが瀬島さんに会って、『君は巨人の長嶋だろ!』と一喝されて気持ちがグラついたと聞きました。瀬島さんは巨人ファンでしたし、企業経営にも詳しかった。大洋球団の将来性や親会社が長嶋さんを人気取り、話題づくりに利用するのでは、と心配したのかも知れません。いずれにしろ、あの時が巨人以外のユニホームを着る最大の、そして最後のチャンスでしたね」(菅谷氏)
大洋が関根監督の後任に近藤貞雄監督の就任を発表したのは84年10月13日のことだった。