当時のリリースエース橋本清氏が語る「10.8」決戦の舞台裏
落合さんはナゴヤ名物の“出前ラーメン”を食べなかった
1994年10月8日。69勝60敗で同率首位に並んだ巨人と中日がこの日、優勝をかけたシーズン最終戦に臨んだ。プロ野球80余年の歴史でも、シーズン最終戦での直接対決による優勝決定戦は、後にも先にもこの一戦だけ。自ら「国民的行事」と名付けた巨人監督の長嶋茂雄は、先発の槙原寛己から斎藤雅樹、桑田真澄と先発3本柱を惜しげもなくつぎ込む投手リレーで中日に6─3で勝利。4年ぶりの優勝を果たした。プロ野球史上最高の48.8%の視聴率を記録したこの試合を当時のリリーフエースだった評論家の橋本清氏が振り返る。
決戦の舞台になったナゴヤ球場のすぐ近くに、「竜」というラーメン店があります。透き通った黄金色のスープに細めのストレート麺。特に、うま味が濃いのにあっさりとした醤油ラーメンは昔から巨人の選手や関係者にファンが多く、中日戦になると試合前のロッカールームに出前を頼むのが恒例になっていました。
練習が終わりに近づくと、投手陣の誰からともなく「ラーメン、いくぞぉ」と声がかかり、若手選手が注文を取る。そこへ必ず、「オレ、醤油な」と乗ってくるのが主砲の落合博満さんで、中日在籍時からここの大ファンだったそうです。
■大一番で自分は登板予定なく…
あの日はしかし、出前を取る選手はひとりもいませんでした。注文どころか、練習中に言葉を発する選手すらほとんどいない。何から何までいつもとは違いました。
試合当日の午後2時半すぎだったと思います。名古屋遠征の宿舎だった「都ホテル」の一室に、バッテリーが集められました。すでに投手コーチの堀内恒夫さん、宮田征典さん、バッテリーコーチの山倉和博さんが待ち構えていた部屋には緊張感が張り詰めていました。無駄な口をきく選手はひとりもいません。神妙な顔で座る選手を見回し、堀内さんが「きょうの試合の登板投手を発表する」とおもむろに口を開きました。
「先発は槙原。2番手に斎藤。リリーフは桑田」
左腕の宮本和知さん、ストッパーの石毛博史も準備をしておくように告げられました。ボクの名前はありませんでした。
きょうの130試合目でそれまでの129試合が報われるか、無になるかという大一番。自分が登板予定に入っていないことが分かった瞬間、ホッとすると同時に悔しさがこみ上げてきました。