甲子園中止は大正解 勝利至上主義に感染リスクと問題山積
強豪校と弱小校の二極化
かねて甲子園の存在が、高校の野球部を「勝利至上主義」に走らせているといわれてきた。高校野球に詳しいスポーツライターの田尻賢誉氏は、「強豪校と弱小校の二極化が進み、限界にきていると感じます」と、こう続ける。
「野球人口が減り、特に公立高校では部員が十数人しかいないところがたくさんある。県大会レベルではそういう学校が強豪校に大差でコールド負けをする。大敗した彼らは野球を面白いと思えるでしょうか。もちろん野球は勝ち負けを争うスポーツで、勝つ喜びがあるから頑張れるし楽しいのですが、強豪私学と公立校では選手の力、練習環境などの条件があまりに違い過ぎます。たとえば地方大会では、公立校を強豪校と同じブロックに入れず、公立校だけのブロックをつくる。そのブロックごとに優勝校を決めた上で準決勝に臨むのも一つの手です。今回の中止を、地方大会を含め、高校野球が変わるきっかけにしなければいけません」
■6試合773球で肘を骨折
甲子園至上主義は才能ある投手の芽を摘むことにもつながる。
なにしろ甲子園には酷使によって才能が潰されてきた歴史がある。その象徴として語られているのが1991年夏、準優勝した沖縄水産の大野倫氏(元巨人)である。
3年春からの右肘痛を隠して6試合で計773球を投げ、大会後に右肘の疲労骨折が判明。大学進学後に野手への転向を余儀なくされた。甲子園での登板過多により、プロ入り後に肩肘を故障した投手は枚挙にいとまがない。
夏ともなると炎天下での連戦を強いられる。球数制限が設けられたとはいっても、成長期の高校生が肩肘に大きなリスクを抱えていることに変わりない。それに、いくら甲子園で活躍しても、プロは実力勝負の世界。甲子園での活躍によって上位指名でプロ入りしたとしても、ドラフトの指名順位がモノをいうのはせいぜい数年だ。
■厳しい練習をやるイメージができない
コロナ禍による健康上の問題もある。
地方大会は6月下旬から順次、開幕する。ただでさえ準備期間が短い上に、夏の暑い時期に体力を使い果たせば、免疫力が低下、コロナの感染リスクが高まるとの専門家の指摘もある。スポーツライターの安倍昌彦氏が言う。
「部活動自粛の中で、野球がない生活に慣れた高校生は多いかもしれません。ある高校の野球部員は『厳しく、緊張感のある環境に戻って、練習や試合をやるイメージができない』と言っていました。自主練習をやってきたといっても、通常の10分の1程度でしょう。心身共に野球がやれる状況になっていないのですから、これで地方大会、甲子園を強行すれば、多くのケガ人が出て、それこそ取り返しのつかないことになっていた可能性はあります」
今回の中止は、災い転じて福となす格好の機会でもあるのだ。