新庄は野村監督やヒルマン監督の“ええとこどり”の野球をすると思います
広沢好輝(元ヤクルト、阪神)#2
現役時代の新庄は、「隠れて努力をしていた」と言われていますが、陰ながら練習しない選手はいない。僕だってしていた。でも成果が出なかった。努力は嘘をつかないというけど嘘はつく。阪神時代、野村克也監督が「正しい努力をしない限り、それは努力とはいわない」と言っていた通りだと思います。
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新庄の場合、並外れた身体能力も大きかった。他の選手がやったら間違いなくケガをするということでも、故障につながらない。ある程度の練習だけでも、キャンプに入るとダントツだし、大きなケガもしない。普通の選手にはとても真似ができないのは事実。新庄と一緒にブレークした亀山努さんも、そう言って笑っていました。
だから、2001年に移籍したメッツでの1年目に左太ももを肉離れしたときは思わず、「おまえでもなるんやね」と言った。メジャーのグラウンドは土が硬くて粘土質。スパイクで踏み込むときに太ももの裏側に筋肉が凝縮する。患部を触ったら、その部分の筋肉が陥没していた。
大きなケガをしても、大げさにはしない。大丈夫かと聞いても「まあまあ」という感じ。挫折とか苦労とか、つらい面は四六時中一緒にいた僕にも見せなかった。新庄の涙を見たのは(元妻の大河内)志保ちゃんくらいやったかもしれません。
英語はからっきし
監督としては、オーソドックスだけど破天荒、破天荒だけどオーソドックスな野球をするんじゃないかと思っています。意表を突いたサプライズを見せてくることもあるだろうし、かと思えば、相手が奇策を警戒している中で緻密で当たり前のことをしたり。自分の感性はもちろん、阪神時代の野村克也監督や日本ハム時代のヒルマン監督、これまで教わった人たちの「ええとこどり」をして指導に当たり、采配を振るんじゃないか。
唯一、新庄のアカンかったところといえば、英語が全然しゃべれないところ。ケン(岩本賢一氏=現日本ハムチーム統括本部副本部長兼国際グループ長)とコジ(小島克典)が通訳をしていたけど、ケンは「ひとりではどこにも行けない。遠征がツラい……」とこぼしていました。
今思えば、「大リーグは3年」と決めていたから、英語はそこまで必要ないと思っていて、自分の中で人生設計ができていたのかもしれません。(この項おわり)
▽広沢好輝(ひろさわ・よしてる) 1971年、三重県生まれ。三重県立明野高から89年ドラフト6位でヤクルトに入団。96年に阪神へ移籍。新庄と同学年ということから親交が深く、現役引退後は練習パートナーを務める。現在は三重県で家業のリサイクルショップを経営。