吉田義男監督の練習でいつも突き指をしたが、やがて僕の「見せ場」を作る礎になった
僕に内野の守備を仕込んでくれたのは、今月3日に91歳で亡くなった「よっさん」こと吉田義男さんである。阪神を球団史上初の日本一に導いた監督で、僕が入団した時は3度目の指揮を執っていた。
僕にとっては優しいおじいちゃんのような存在で、寿司店や中華店で最近まで1年に1回、杯を酌み交わしていた。現役時代に「牛若丸」の異名で鳴らした名遊撃手だけに、打撃より守備の練習が圧倒的に長く、「ショートとセカンドは捕球したらすぐ投げろ」という教えだった。入団時にショートだった僕に吉田監督は口を酸っぱくしてこう言い続けた。
「グラブでボールを握るな。打球を当てるだけや。当てたらすぐにつかんで投げるんや」
つまり、素早い送球をするため、グラブをはめる左の手のひらに当てた瞬間に右手でボールをつかまないといけない。
「今岡、遅い!」
吉田監督はこのプレーに関しては厳しかった。まだ新人だった僕は必死に食らいついたが、捕球した瞬間に右手を勢いよくグラブに突っ込むものだから、右手の親指、人さし指、中指をいつも突き指していた。そのおかげで、後にセカンドにコンバートされた際、二塁併殺時の捕ってから一塁へ送球する「ピボットプレー」が格段に速くなった。今は広島の菊池涼介選手が素早いが、僕の方が速かったと自負している。入団早々に捕球から送球へ移る練習を反復したこと、僕の肩の強さがあってこそだ。セカンドでゲッツーを取る技術は僕の見せ場だった。ただ、ゴロの捕球はうまくならなかったが……。