今岡誠
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今思えばゾッとする。僕は下調べせずPL学園に入学し、激しく後悔…寮生活は想像を絶した
東洋大がひとつの原点なら、もうひとつの原点は、高校である。 兵庫の宝塚シニアでプレーしていた中学時代、そこそこ名の知られた選手だった僕は、漠然と大阪の強豪・近大付属高校に進みたいと思っていた。父が同校出身で、よく練習を見に行...
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僕が東都大学リーグで過ごした4年間の濃ゆい思い出…入れ替え戦史上初の3試合連続本塁打を放った
東洋大の恩師・高橋昭雄監督はバントが大嫌いだった。 しかし、勝ち切れない時期が続いたことで、生意気にも「スクイズをやったらどうですか?」と進言したことがある。すると、「バカ野郎!」とこう怒られた。 「なめてんのか! 野...
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青学大に落ちた直後、「今岡ならOK」と東洋大学入学が即決定。PL学園の底力を知った気がした
PL学園3年春、学校に「青山学院を受けろ」と言われ、合格は決まっていると思っていたセレクションでまさかの不合格。その後、「青山学院は(国学院久我山の)井口資仁(ダイエー)を取るから、同じ内野手は取らない」という噂を聞いた。 ...
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PL学園から青学大へのスポ薦「まさかの不合格」の裏に井口資仁の存在…入学できると信じていたが
アトランタ五輪決勝は最強キューバの牙城を崩せず銀メダル。ただ、予選リーグ1勝3敗から4連勝して決勝へ。僕は控えから4試合目にスタメンに抜擢されると、最終的に4割以上の成績が残せた。完全燃焼した2位だった。 アトランタメンバー...
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1996年アトランタ五輪で僕に起きた2つの幸運…不謹慎ながら最初の頃は「負けろ…」と思っていた
ここからはアマチュア時代の話をしよう。 1996年のアトランタ五輪の日本代表メンバーが発表された時、僕は東洋大4年。この五輪には「幸運」が2つ訪れた。 もともと僕はメンバー外のはずだった。東洋大の4年間、代表に呼ばれ...
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拾われたロッテの入団会見では不覚にも泣きそうに…トライアウトからテスト生としてキャンプイン
「今岡にはプライドがないんか?」 2009年11月11日、周囲に批判を浴びながら、僕は12球団合同トライアウトを受けた。舞台は偶然にも阪神の本拠地・甲子園球場。当日は雨のため、室内練習場が会場となった。 プライドうんぬ...
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僕が引退試合を拒否した理由…阪神には愛着以上の感情も、野球を続けたい気持ちが勝った
前回「阪神からの戦力外通告「全内幕」…四方八方から《辞めた方が身のためや》と現役続行を反対された」からつづく。 ◇ ◇ ◇ 「このままではユニホームを脱げない。もう一度、自分の気持ちをスカッとさせたい。一歩踏み出...
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阪神からの戦力外通告「全内幕」…四方八方から《辞めた方が身のためや》と現役続行を反対された
2009年10月、阪神から戦力外通告を受けた。残された選択肢は引退するか、他球団へ移籍するかの2つだけである。 球団から最初に打診があったのは、2カ月前の8月ごろ。球団事務所に呼ばれ、「そろそろ引退してはどうか? 君はウチの...
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監督に最も向いているのは「内野手」…捕手最強監督論に異議を唱えたい
投手、捕手、内野手、外野手ーー。プロ野球の監督はどこのポジション出身が向いているか。 歴代の阪神監督では、投手は星野仙一さんや藤川球児現監督、捕手は野村克也さんや矢野燿大さん、内野手は岡田彰布前監督、吉田義男さん、真弓明信さ...
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首位打者の03年と打点王の05年は、打ち方を180度変えていた。持論は「打率と打点は両立しない」
球場はなぜバックスクリーンがあるセンター方向が一番深いのか。それは投球をまっすぐ打ち返すことで最も打球が飛ぶからである。センター方向への角度とタイミングで打つことが打撃の基本。 簡単に言うと、バットをセンター方向へ放り投げる...
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「先頭打者本塁打」を量産した僕の頭の中身…1番打者が最も打てる確率が高いのは第1打席の初球
現代のプロ野球界は昔よりデータに縛られてプレーするようになった。最近、イチローさんがメジャーの野球について「データでがんじがらめにされて、感性が消えていくのが現代の野球」と警鐘を鳴らした。僕も同感である。もちろんデータを使うのは大事...
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納会を1次会で退散したら…「何とっとと帰っとんねん!」金本知憲さんにガチ説教された
「今岡! あれで思い切り走ってたんか? あの打球でかえってこられんかったら優勝なんかできるか!」と、走塁でアウトになった僕は、金本知憲さんによく怒られた。ただ、遠征先ではよく一緒に飲みに行った。 金本さんから「誰か若いのを呼ん...
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「血の入れ替え」で入団した金本知憲さんにはよく怒られた。何より凄まじかった1点の執念
2001年オフに野村克也監督の辞任を受け、中日の監督から間を置かずして阪神の監督に電撃就任したのが星野仙一さんだ。初年度はBクラスの4位に終わり、大胆な「血の入れ替え」を宣言し、当時の久万俊二郎オーナーを説得。阪神本社の「金庫」を開...
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先日亡くなった吉田義男監督時代の1991年、僕が阪神を逆指名した理由
新人時代の吉田義男監督が、後に解説者に転身した時のことだ。僕が野村克也監督とソリが合わず、苦しんでいる姿を見て、よく甲子園に励ましに来てくれた。その時、吉田さんはこう話していた。 「野村は『このチームはだからダメなんや』とばか...
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吉田義男監督の練習でいつも突き指をしたが、やがて僕の「見せ場」を作る礎になった
僕に内野の守備を仕込んでくれたのは、今月3日に91歳で亡くなった「よっさん」こと吉田義男さんである。阪神を球団史上初の日本一に導いた監督で、僕が入団した時は3度目の指揮を執っていた。 僕にとっては優しいおじいちゃんのような存...
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大柄で足が速くない僕を、なぜPL学園の中村監督はセカンドにしたのか
僕のポジションはコロコロ変わった。 最初はショートとして阪神に入団。その後はセカンド。2005年は岡田彰布監督の「守備の負担を軽減して打撃に専念させたい」との方針でサードに転向。一般的には遊撃や二塁より三塁の方が守りやすいと...
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僕がプロ野球歴代3位「年間147打点」を叩き出した舞台裏…満塁打率6割、走者なしだと.225
打率と打点は両立しない──。 2005年の6月ごろ、打率は3割を超えていたが、5番打者として岡田彰布監督に期待される打点が増えないことで僕は悟った。コツコツ安打を打っても打点は増えない。やはり長打が必要なのだと。 安...
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不謹慎だが…4番の金本知憲さんの本塁打を素直に喜べなかった。気持ちが切れてしまうのだ
2003年、阪神は18年ぶりにリーグ優勝を果たしたにもかかわらず、星野仙一監督が「健康上の都合」を理由に電撃退任。岡田彰布・一軍内野守備走塁コーチが一軍の監督に就任した。 僕は星野監督時代の02年に1番の赤星憲広が故障離脱し...
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バント失敗で即二軍落ちしたとき岡田二軍監督に救われた。全て「本音」なところが尊敬できた
岡田彰布二軍監督は一本筋が通った人だった。 野村克也監督就任1年目の1999年キャンプ初日、「全員でミーティングをやるから二軍も(往復1時間離れた一軍)宿舎に来い」と呼び出された際、「二軍はアタマ使うより練習させなアカンのと...
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野村監督に「不平不満を持っているようにしか見えない」と問い詰められて…
1999年から2001年の野村克也監督時代の3年間、周辺にいるコーチとの間にこんなことがあった。 「監督がこう言っている」と、ある練習を命じられた。僕の考えと違ったため、「こうやってもいいですか?」と返したが、後になって全く監...
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「今岡、お前か?」 マル秘の “ノムラの考え” が流出すると犯人だと疑われたが…
僕が新人だった1997年は現役時代に「牛若丸」といわれた遊撃の名手、先日亡くなった吉田義男監督だった。1年目に我慢して一軍に置いてくれたおかげで、2年目は打率.293とまずまずの成績を残すことができた。ただ、残念ながら、これからとい...
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僕に激昂した闘将・星野監督はトレーナー室のドアを蹴破らんばかりの勢いで入ってきて…
中日時代の「鉄拳制裁」の噂は本当か、というくらい、阪神1年目の星野仙一監督は穏やかだった。ただし、あの時だけは違った。 就任2年目の2003年春のキャンプ。始まったばかりの第2クールで足を痛め、リタイアした僕に、ついに「闘将...
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「(来季の去就は)マコト以外は全員白紙や!」星野監督が全員の前で放った言葉を意気に感じた
星野仙一監督就任1年目の2002年。僕は野球人生をかけたオープン戦初打席でサヨナラ打を放った流れをそのままに、開幕後はレギュラーとして打率.317、15本塁打、56打点の成績を残した。 ただ、シーズン中盤まで首位争いをしてい...
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星野監督1年目…周囲から浮いても関係ない「今岡は変わった」と思わせたくてアップから全力だった
「好きなようにさしたるから、やってみろ」 春のキャンプイン直前、就任1年目の星野仙一監督に言われた言葉は、野村克也前監督のID野球にウンザリしていた僕にとってうれしいものだった。ただ、同時に恐怖というか、背筋に衝撃が走るもので...
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【新連載】星野監督は講演会でいきなり「おまえはクソ生意気らしいから野村さんと全然あかんかったんやろ!」
聴衆がどっと沸いた。 2001年12月に阪神監督に就任したばかりの星野仙一さんの講演会に、僕と数人の阪神の選手が呼ばれた。そこで壇上の星野監督が突然、こう言ったのだ。 「今岡、おまえはクソ生意気らしいな。だから、野村さ...
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今岡コーチは阪神“ポスト岡田”の有力候補も、争いは05年V戦士の三つ巴…本命は誰だ?
キャンプ直前、ようやくの発表となった。 阪神は先日、球団OBである今岡真訪一軍打撃コーチ(48)の就任を発表、入団会見を行った。かねて入閣は決まっていたが、正式決定までには紆余曲折があったという。阪神OBが解説する。 ...
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阪神・今岡打撃コーチが死んでも忘れない岡田監督の教え 2008年「バースデーアーチ」生んだ指導者の矜持
「選手個々の能力を引き出す。この一点に尽きます。持っている力を出せずにいる選手たちの方が多いという現状だと思いますので、引き出すことを最大のテーマにやっていきたいと思います」 阪神の今岡真訪一軍打撃コーチ(48)が17日の就任...
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阪神「ポスト矢野」に浮上!ロッテ退団・今岡前ヘッドの気になるこの先1年の動向
「来季も正念場が続きますよ」 阪神OBがこう言う。 開幕から首位を快走しながら、ヤクルトに優勝をさらわれた阪神の矢野監督(52)。今季で3年契約が満了することを受け、1年契約で続投する。 「矢野監督が単年での勝負...