バント失敗で即二軍落ちしたとき岡田二軍監督に救われた。全て「本音」なところが尊敬できた
岡田彰布二軍監督は一本筋が通った人だった。
野村克也監督就任1年目の1999年キャンプ初日、「全員でミーティングをやるから二軍も(往復1時間離れた一軍)宿舎に来い」と呼び出された際、「二軍はアタマ使うより練習させなアカンのとちゃいますか?」と断固拒否したことでも分かる。
僕も同じ考えだった。打撃には正解がない。自分の体でつかむしかないのだから、バットを振った方が何かを感じられる。二軍の選手ならなおさらだ。
2000年の僕は開幕から精彩を欠いた。1点差の九回裏無死一塁の好機でバントを失敗。翌日、登録抹消となった。鳴尾浜球場で気落ちしながらバント練習を始めると、岡田二軍監督に声を掛けられた。
「おまえはバント要員やない。打撃で生きるんだろ? そこは間違えるなよ。バットでレギュラーを取るんや。自分の信じた道を行け。ただし、バントの練習はいらないというわけやないで」
普通は一軍の野村監督の顔色をうかがって「おまえはバントを人一倍練習しておけよ」と言うのが二軍監督である。それが、この人には「建前」がない。全て「本音」なところが尊敬できた。