元マネが語る 忌野清志郎との日々
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サザン桑田が涙を流して「RCに負けた」と語った札幌の夜
1980年代初頭は、エレキ編成に変わったRCサクセションにとって大きく花ひらいた時期である。 当時のライブ本数は年間90本を数え、全国を目まぐるしく飛び回っていた。 「79年から80年…
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反原発ソング発売中止への怒りがタイマーズを誕生させた
「♪『日本の原発は安全です』 さっぱりわかんねえ 根拠がねえ」 RCサクセションは1988年8月リリースのアルバム「カバーズ」で反核・反原発を歌い上げた。残念ながら、2011年の東日本大震災で…
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「デイ・ドリーム・ビリーバー」に込められた実母への思い
2006年、清志郎に最初のがん(喉頭がん)が見つかる。清志郎は医師の摘出手術の助言を断り、抗がん剤と放射線での治療、その後は代替医療を選択し、歌い続けることを望んだ。 だが、がん発症は、本人…
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自転車で160キロ完走 清志郎からもらった最も大きなプレゼント
ツアー先のホテルでメンバーやスタッフの飲み物がなくなると、「遠慮せずに飲みたまえ」と言って部屋の冷蔵庫からビールを取り出してきた清志郎。評伝「GOTTA!忌野清志郎」(連野城太郎著・角川文庫)の中で…
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「飲んで元気だせよ」と差し出された郷愁誘う“プラッシー”
RCサクセション一行は、いったんツアーに出かけると1週間以上は東京に戻れない。メンバーやスタッフ、舞台監督、音響、照明、ローディー(楽器の手配)も含めれば、総勢二十数人。片岡さんも衣装係としてツアー…
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お決まりの「愛しあってるかい?」に込められた深い意味
5月2日の清志郎の命日には、今年もファン有志らのイベントが開催された。 早いもので、彼が58歳で世を去ってから9年の歳月が流れた。 そんなロックスターには、ステージ上でお決まりのフレ…
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昭和44年の朝日新聞に掲載された母親からの「悩み相談」
ファンの間では語り草となっているが、「ギターのプロになる」という息子を心配した母の久子さんが、新聞の人生相談コーナーに投書してしまった。 清志郎は都立日野高校の3年生。「ギターにこる子ども」…
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「雨の日にいかれちまった」愛車の日産サニークーペ秘話
清志郎は、不遇の時代に手に入れた中古の日産サニークーペを何年も恋人のように愛し続けた。最後は片方のライトがいかれ、鍵もかからない。 ♪この雨にやられてエンジンいかれちまった 俺らのポンコツとう…
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義父に結婚を反対され「売れるため」に化粧を始めた
清志郎が初めて化粧をしてステージに立ったのは、1978年の9月17日、渋谷のライブハウス「屋根裏」だったとされる。本人は「冗談で始めた」と語っていたが、本当のところはどうだったのか。 「私たち…
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初対面で挨拶したとき、笑った清志郎の前歯は欠けていた
5月2日は命日。日本のキング・オブ・ロック、忌野清志郎が亡くなって9年の歳月が流れた。1970年にフォークグループ「RCサクセション」でデビュー。エレキ編成となってからは「雨あがりの夜空に」「トラン…