昭和44年の朝日新聞に掲載された母親からの「悩み相談」
ファンの間では語り草となっているが、「ギターのプロになる」という息子を心配した母の久子さんが、新聞の人生相談コーナーに投書してしまった。
清志郎は都立日野高校の3年生。「ギターにこる子ども」と題された1969(昭和44)年11月4日付の朝日新聞の内容はこうだ。
《高校を卒業したら美術大学へはいる予定でしたが、最近では進学したくないと申します。どうしても大学へ行かないのなら高校を出てお勤めをしてほしいと申しますと、お勤めなどいやだ、ギターのプロになるのだと申します。(中略)学校へまじめに行かせるにはどうしたらよろしいでしょうか》
これについて回答者の映画監督の羽仁進氏は、《十八歳というお子さんのことを、こうまでいちいち立ちいって心配されるのは、かえって甘やかしていることにならないでしょうか》とアドバイスしている。
「清志郎さんの父親は東京ガスに勤務。お母さまは教育熱心な主婦でいらしたそうです。美大を目指すなら将来は学校の先生という道もあるでしょうし。50年も前のこの時代、海のものとも山のものともつかないギター弾きですよ。お母さまが猛反対した気持ちはわかります」