義父に結婚を反対され「売れるため」に化粧を始めた
清志郎が初めて化粧をしてステージに立ったのは、1978年の9月17日、渋谷のライブハウス「屋根裏」だったとされる。本人は「冗談で始めた」と語っていたが、本当のところはどうだったのか。
「私たちが石井さん(旧姓)と呼ぶ、のちの清志郎さんの奥さんに、化粧品会社の美容部員をしている友人がいらして、いただいた試供品がたまたま自宅にあり、それで始めたという説があります。石井さんのお話だと、ステージに上がる時はあのメークですが、自宅ではもっと違った意味で奇抜だったらしい。彼女が『ただいま』と帰宅すると、目の周りを真っ黒に塗ったサングラスみたいなメークの彼がいて、思わずのけぞったというエピソードもありました」
周囲を驚かせようという彼なりのちゃめっ気だったのだろう。
「ただ、本当の理由は『売れたい』という切実な思いからかもしれません。当時、清志郎さんは石井さんとの結婚を真剣に考えていて、どうしても収入を安定させる必要があった。というのも、義父が2人の結婚に反対で、怒鳴り込んできたこともあったそうなのです。RCサクセションは72年に『ぼくの好きな先生』がヒットしましたが、その後しばらく低迷しました。その時、怒鳴り込んできた義父から『稼ぎはいくらある?』と聞かれた清志郎さんは、とっさに『10万円です』と答えたそうです。実際は7万円足らずで見えを張ったようです」