「デイ・ドリーム・ビリーバー」に込められた実母への思い
2006年、清志郎に最初のがん(喉頭がん)が見つかる。清志郎は医師の摘出手術の助言を断り、抗がん剤と放射線での治療、その後は代替医療を選択し、歌い続けることを望んだ。
だが、がん発症は、本人にもある種の覚悟のようなものがあったのではなかろうか。清志郎は3歳で死に別れた実母の富貴子さんがいる。死因は胃がんだった。
心の中にはこの実母の「DNA」が色濃く影響していた可能性がある。
「88年2月に、清志郎さんの養父が心筋梗塞で他界します。その2年前には、養母も永眠していました。父の葬儀を終えた後、親戚が蔵に保管していた実母の遺品を届けてくれて、初めて母の存在を現実に見たのですね。これまで封印してきた本当のお母さんへの思いが解き放たれたのかもしれません」
本人が著書「ネズミに捧ぐ詩」(KADOKAWA/中経出版)や、黒柳徹子の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)でも語っていたように、清志郎は母とのあまりの共通点の多さに驚いたそうだ。
「きれいにお化粧をし、好んで派手な着物を着こなしていて、その派手な服装がまた、とても似合う方だったそうです。歌が上手で、当時としては珍しく、歌声を録音したレコードも遺されていた。清志郎さんはお母さんの写真をいつも持ち歩いて仲間に見せびらかしてました(笑い)。清志郎さんにそっくりです」