マギー司郎 大いに語る
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自由奔放に生きるのが芸人 女遊びしたっていいじゃない
マギーには売れっ子のマギー審司をはじめ、12人の弟子がいる。 「僕のマジックは横で見てればすぐに覚えられるし、道具は東急ハンズで売ってるから、弟子たちは皆独学です。僕も我流だったんで、改めて教…
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<9>中卒の事実を省いたら…弱みである“武器”が伝わらない
NHKの地上波に、「課外授業 ようこそ先輩」という人気番組があった。有名人が母校の小学校を訪ね、児童に自分の得意とする科目を教え、実際にやらせるのだ。マギーも出身校の茨城県筑西市の養蚕小学校を訪れ、…
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<8>素人だけでなくプロのマジシャンまで道具に頼りすぎ
テレビの演芸番組とコマーシャル出演ですっかり売れっ子になったマギーは、故郷の茨城県下館町(現・筑西市)に帰省した際、生まれて初めて母親にお小遣いをあげた。 「当時、僕は30代の半ばでしょ。稼い…
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<7>事務所に使われるのが芸人 搾取されたとしてもいい商売
「お笑いスター誕生!!」でマギーは、一躍有名になった。マジシャンはあまりしゃべらず、BGMに合わせてかっこよくマジックを見せるもの、という既成概念を壊し、おしゃべりが面白いマジシャンとして世に出たのだ…
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<6>ハンカチを縦から横に持ち替えるネタに黒柳徹子は感心
1980年、マギー司郎に転機が訪れる。 若手芸人の登竜門と言われた演芸オーディション番組、「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ系)に出場する。当時、駆け出しの演芸評論家だった私は、収録会場の…
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<5>ストリップ劇場のギャラで食べた「貧乏定食」100円ナリ
田端のアパートの一室に集まる「田端グループ」の若手芸人は、金を稼いできた者が他のメンバーにおごる習慣があった。 「ストリップ劇場の10日間のギャラが入ると、皆が待ってるから持って行ってやろうと…
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<4>ゆーとぴあのホープとは腐れ縁…カネを40年貸し続ける
マギーが全国のストリップ劇場回りをしていた1970年代。 山手線の田端駅に近いアパートに集まる若手芸人たちは、「田端グループ」と称していた。マギーもそのメンバーで、部屋の借り主でグループのリ…
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<3>ストリップ劇場回りは日給千円。芸能プロに3割取られ…
1966年からストリップ劇場に出演するようになったマギーは、持ち時間20分を持たせるため、マジックの合間におしゃべりをはさんだ。 「舞台に上がるなり、『僕のマジック、見たくない人、手を挙げてく…
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<2>マジックスクールで一緒だったのが今のMr.マリック
マギー司郎は1946年3月、茨城県下館町(現・筑西市)に生まれた。本名は野澤司郎。中学卒業後、17歳の年に家出して上京する。 「9人きょうだいの7番目だから、家出したのに親は捜索願を出さなかっ…
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<1>コロナで暇 でもマジシャンはたいした稽古はしないのよ
国内にマジシャンの数は多いが、最も芸人のにおいがするのはマギー司郎だ。マジックの合間の味のあるおしゃべりが面白く、その人柄はファンだけでなく芸人仲間にも愛されている。そんなマギーに、下積み時代の苦労…