<4>ゆーとぴあのホープとは腐れ縁…カネを40年貸し続ける
マギーが全国のストリップ劇場回りをしていた1970年代。
山手線の田端駅に近いアパートに集まる若手芸人たちは、「田端グループ」と称していた。マギーもそのメンバーで、部屋の借り主でグループのリーダーは、後のゆーとぴあのホープこと、城後光義である。マギーとホープの関係はいわば「腐れ縁」と言える。
「ホープちゃんと初めて会ったのは、高松のストリップ劇場です。後にコント・レオナルドのレオナルド熊で知られた熊さんの弟子で相方だったの。弟子のくせにパチンコやってて遅刻して、たまたま楽屋にいた僕が熊さんのコントの相方をやらされたわけ。相方と言ったって、僕は何もできないから立ってるだけで、熊さんの質問に答えるんだけど。わざと意地悪なクイズを出して、僕が答えを間違えるたびにスリッパで頭を叩かれる。それで客の笑いを取るんだから、乱暴な芸だよね。それもホープちゃんのせいで。考えたら最初っから迷惑かけられたんだね」
私はホープを主人公にした「コント馬鹿」という長編小説を書いたので、彼をよく知っている。多くの人に迷惑をかけているのに憎めないやつなのだ。