浪曲師・京山幸枝若 大いに語る
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「若いうちは積極的に自分からやっていかんとあかん」
幸枝若が会長を務める浪曲親友協会の会員は30人程度で、会長としては後進の育成も考えねばならない。幸枝若の門下には、京山幸太という26歳の弟子がいて、東京での独演会には、毎回必ず「前読み」と言われる前…
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2代目襲名を初代の十三回忌に合わせようとしたら反対され
平成15年、2代目幸枝若襲名が決まった福太郎は、その相談のため吉本興業へ赴いた。 「社員の中で一番仲良くしてもらってた方を訪ねると、部長に出世してて、襲名の話をすると大変喜んでくれました。初代…
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何をやっても幸枝若から逃れられん。それやったら認めて…
初代幸枝若が亡くなったのは1991年6月で、2代目は死に目に会えなかった。 「毎日病院に通って足を揉んでいたのに、その日行ったら、ご家族が集まってて息を引き取ったという。そういうもんですな。葬…
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「節の後に落語をやるのはかなわん言うてね。志ん朝師匠もそうみたいでしたね」
浪曲の「間」は、他の演芸と同様、非常に微妙なものだ。吉本興業所属の幸枝若が出ていたうめだ花月やなんば花月のような劇場と、浪曲師だけが集って競演する大会とでは、演じ方が違うという。 「吉本系の劇…
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先輩に「漫才になって“やすきよ”に勝てるんか」と諭されて
初代幸枝若と2代目は声と節だけでなく、風貌もそっくりである。それはいいことなのだろうか。 「悪いことのほうが多いですな。師匠の前に、よう似た弟子が出て、同じ節をやる。それが師匠にとっては邪魔や…
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おふくろに「俺、幸枝若の子ぉか?」と聞くと軽い調子で…
幸枝若は高校生の頃から浪曲の才能を示した。 「曲師のおふくろの三味線で兄貴が浪曲の稽古をしてるんで、『俺にもやらせてくれ』と、『一本刀土俵入』をやったら、おふくろと兄貴が、『おまえ、いつ覚えた…
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高校時代は浪曲より吉田拓郎や森進一が好きで…
幸枝若は昭和29年、姫路市に生まれた。本名は福本一光。男ばかりの4人兄弟の末っ子だ。父親は浪曲師兼興行師、母親も元浪曲師で曲師(三味線奏者)だった。 「興行師の家やから、芸人がぎょうさん出入り…
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「もっと広めなあかん」浪曲消滅への危機感から定期公演を
この欄に浪曲師が登場するのは初めてである。2代目京山幸枝若は関西の浪曲師団体、浪曲親友協会会長で、「声」「節」「タンカ(語り)」の三拍子そろった名人だ。近年は東京でも独演会を開き、昨年、文化庁芸術祭…