何をやっても幸枝若から逃れられん。それやったら認めて…
初代幸枝若が亡くなったのは1991年6月で、2代目は死に目に会えなかった。
「毎日病院に通って足を揉んでいたのに、その日行ったら、ご家族が集まってて息を引き取ったという。そういうもんですな。葬儀は奥さんが喪主で、息子さん、娘さんは親族の席に座りますが、私はあくまでも弟子として、受付で働いてました」
実の子でも、婚外子であるばかりに、そうせざるを得なかったのだ。
初代が亡くなると、声と節だけでなく、風貌さえも似ている福太郎に寄せられる期待は大きかった。
「30代までは、『お父さんによう似てる』と言われるのが嫌でした。それで、わざと違う節でやったりすると、『幸枝若師匠はそういう節も使うんや』と言われる。何をやっても幸枝若から逃れられん。それやったらもう認めてしまおうと。亡くなってからは、『お父さんそっくりやね』と言われると、『ほんまでっか。おおきにありがとうございます』と礼が言えるようになりました」
その心境に達するまでは、人には言えない葛藤があったはずだ。初代の血と芸を受け継いだ福太郎の評価が上がってきた。私が2代目を初めて見たのは、浅草の木馬亭で催された玉川福太郎との2人会だ。