高校時代は浪曲より吉田拓郎や森進一が好きで…
幸枝若は昭和29年、姫路市に生まれた。本名は福本一光。男ばかりの4人兄弟の末っ子だ。父親は浪曲師兼興行師、母親も元浪曲師で曲師(三味線奏者)だった。
「興行師の家やから、芸人がぎょうさん出入りする。浪曲師が来て、おふくろの三味線でうなってるのを聞いてれば嫌いになりますわ(笑い)。私は定時制高校で、昼間はプロパンガスの会社で働いてました。浪曲より吉田拓郎や森進一の歌が好きで、ある時、友達の家でレコードを聴いてたら、友達が、『浪曲聴こうや』言いよる。『小ちゃい頃から聴いてるから嫌や』言うたんですが、レコードをかけてしまった。流れてきたのが初代幸枝若の『瞼の母』ですわ。鈴を転がしたようなきれいな声なので驚いた。うちで聴いてたのは、ダミ声で『妻は夫をいたわりつ~』とうなってる古くさい浪曲ですから。『これ、誰?』と聞くと友達が、『幸枝若や』と言う。『こうしわか? けったいな名前やなあ』(笑い)と。それが初代との出合いです」
一光少年は、実の父親が幸枝若と知らずに育ったのだ。それには事情がある。
「おふくろが浪曲師だった頃、後輩の初代が惚れて、仕事場に日参して口説いて、姫路で所帯を持った。籍には入れなかったので正式な夫婦ではありません。それでも10年間一緒に暮らして4人も子供ができた。長男が6歳、末っ子の私がまだ7カ月の頃、初代はおふくろと子供たちを残して大阪へ行ってしまいました。捨てられたおふくろは、4人の子供を抱えて、生活苦から一家心中を図ろうとしたことがあったと聞いてます。浪曲師だった初代の父親が見かねて、おふくろと自分の弟子を結婚させた。それが育ての親の興行師です。長男は知ってたようですが、私は本当の父親だと思うてました」