「鷹将軍と鶴の味噌汁」菅豊著
エジプトのナイル川を南下していくと川沿いに円筒形の細長い塔があちこちにあるのが目に付く。これは食用の鳩を飼育するためのもので、レストランでも鳩料理がよく供される。フランス料理でもジビエとして鳩や鴨、その他の野鳥が食される。
一方、日本では鳥料理のほとんどはニワトリでそれ以外の野鳥を食べる機会はめったにない。しかし、ほんの少し前まで日本人は野鳥を貪欲に食していたのだ。本書は日本の鳥食文化について、その爛熟(らんじゅく)期である江戸時代を中心に考察したもの。
日本の鳥食文化において大きな役割を果たしているのが鷹狩りだ。古来、鷹狩りは時の権力者や王権と深く関わり、権力と威光を知らしめる象徴的行為だった。鷹狩りは古代の天皇家、貴族階級から中世の武士階級へ受け継がれ、江戸幕府を開いた徳川家康も大いに活用した。鷹狩りで捕られた野鳥は鶴を最上に特別な献上物として珍重された。鷹狩りを行う鷹場は幕府によって厳重に管理されていたので、一般の人たちは立ち入れないため、結果的に野鳥の保護につながっていた。
ところが、将軍綱吉の「生類憐れみの令」によって鷹狩りが禁止されると、一般人による乱獲を招くこととなった。また、庶民にとっても野鳥の味は格別で、独自の鳥の流通経路が開拓され、江戸の町には鳥料理専門店が開かれ、庶民の貴重なタンパク源として珍重された。鳥料理のさまざまなレシピが書かれた料理書も出され、そこには鶴、白鳥、雁、鴨、雉子(キジ)、山鳥、鷺、鶉(ウズラ)、雲雀(ヒバリ)、鳩、雀……といった多彩な野鳥の名前が出てくる。こうした鳥食文化は明治になっても衰えず、鷗外、漱石の作品にも上野の有名な雁鍋屋が登場する。しかし、太平洋戦争の敗戦を境に鳥食文化の伝統は途切れてしまう。
鳥食文化の衰退の要因としては家畜や家禽(かきん)の肉食の普及、環境の悪化などが挙げられる。また、鳥獣保護の観点から狩猟鳥獣の種類が大幅に削減され、江戸庶民や鷗外、漱石が好んだ雁鍋は現在食べることはできない。本書は、失われた野鳥料理への白鳥の歌である。 <狸>
(講談社 1980円)