「チャイニーズ・タイプライター」トーマス・S・マラニー著 比護遥訳
今回の東京オリンピックの開会式では、国・地域名の50音順で入場行進が行われた。前回の1964年のオリンピックではアルファベット順だったが、本書の序には2008年の北京オリンピックでは前代未聞の漢字の画数順で入場行進が行われたと記されている。IOCではホスト国で使われているアルファベット順という規定がある。仮名は厳密にいえばアルファベットではないが、表音文字ではある。ところが中国の漢字は表語文字でアルファベット的な語順はないので、各国・各地域の漢字表記を画数順に並べるという異例の入場行進となったのである。
本書は、近代における西洋のラテン・アルファベットによる情報技術のグローバル化にあって、アルファベットを持たない中国の文字体系がどのような位置付けにあるのかを、タイプライターをモデルにしてつづっていく言語技術文化史である。
アルファベットは26文字、それに数字やその他の記号を合わせてもタイプライターのキーの数は40~50あれば事足りる。ところが漢字の数は何万とあり、使用頻度の高い文字に絞っても2000はある。これをキーボードに組み込むとなればとてつもなく巨大なキーボードが必要となる……。そこから中国語タイプライターは不可能の代名詞となってしまう。さらには、アルファベットを持たない中国語は進化論的に「不適格」であり、こんな効率の悪いものは不要だという漢字廃止論が内外から出てくる。
要するにラテン・アルファベットが主導する情報技術(モールス信号、速記、タイプライター、ワードプロセッサー、光学文字認識、デジタルタイポグラフィー等々)の「普遍性」にとって、中国語の文字体系は無視・度外視すべきものとされていたのだ。
本書は、この圧倒的な四面楚歌(そか)状態の中でさまざまな試行錯誤の末、中国語タイプライターが完成する経緯を丁寧に跡づけていく。そこには和文タイプライターも深く関与しており、ローマ字入力を当たり前としている日本人にも考えさせるところ大である。 <狸>
(中央公論新社 4950円)