エドワード・ゴーリーは絵本を通じて、世界が含み持つ残虐性を子供に提示した
世界が含み持つ残虐性を絵本を通じて子供に提示した作家・ゴーリー
大学生時代、私は絵本やアニメーションを作ることを楽しむサークルに所属していました。
なにしろ絵本製作には『絵を描く』『話を作る』『製本する』という3つのものづくりが関わっているし、さらには視力に難がある人のための点字絵本や、本そのものに仕掛けを作る飛び出す絵本へ工夫できるので、創作意欲を満たすこの活動に私は没頭したものでした。
当時は東京の水道橋駅近くに製本の私塾があり、そこの生徒さんから箔押しや活字を並べて転写する技術を学ぶ機会があったため、それが手作り絵本の製作へ活きました。
そんなわけで、私はとりわけ絵本に対して興味を持っています。
安野光雅の『旅の絵本』シリーズやルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェルの『ジャンヌ・ダルク』、モーリス・センダック の『かいじゅうたちのいるところ』には時間を忘れて魅入ったものです。
幼い子に基本的な喜怒哀楽といった感情や倫理を教えるのも絵本の重要な役割ですね。
もちろん、危ないものに対する注意する意識や怖いという感覚と一緒に。
そんな作品群を生んでいた作家の一人が、エドワード・ゴーリー。イリノイ州シカゴ出身の、アメリカの絵本作家です。
世界が含み持つ残虐性を、彼は絵本を通じて子供に提示しました。
■モノトーンの絵が作品世界に陰を覆わせる
優しい言葉をかけて子供を連れて行こうとする大人、お菓子や玩具に誘われて付いていった子供がどうなるか──。
その怖ろしい結末を、彼は読み手である子供に突きつけます。
絵柄は色鮮やかなものではなく、華やかではありません。黒い線画が織りなすモノトーンの絵は、作品世界全体に陰を覆わせている。
描写もあからさまではない。語り口調も淡々としている。死体は画面の外側に収められているけれど、想像力をかき立てるには充分な画です。扉の陰から伸びる細長い指は、それだけで体を強張らせてしまう。
彼が描く作品世界は、子供のみならず大人すら引き込み、シニカルに、ときにユーモアを交えて、 世界の不条理や残酷な現実を表現しています。