文芸におけるホラージャンルの確立 ~日本ホラー小説大賞~
■ホラーは雑誌の付録的扱い?
昭和の時代、文芸といえば純文学とミステリーが主流でした。
他にも歴史小説や青春小説、冒険小説というジャンルがあったけれど、恐怖小説となると単なる子ども向けの『おばけの話』として児童文学の範疇にあったものだから、怖い話が大好きだと言おうものなら「いい大人なのに」と白い目を向けられてしまう。
書き手も文芸者の扱いをされない。誰もが知っている名作『怪談』を生んだ小泉八雲ですら、東洋における紀行文学の書き手としての名前が通っていた。江戸川乱歩による怪奇小説はホラーへのとば口となったけれど、まだジャンルとして確立されたとは言えない状況なので、子ども向けの怪人二十面相がウケてるという程度の認識でした。
ホラーは雑誌の付録みたいなもので、まだメイン料理の付け合わせに過ぎません。
いわばステーキの横に置かれているにんじん。レストランでハンバーグやステーキを注文しても、にんじんやブロッコリーやコーンがメニューにないのと同じ。注文できなかったわけですよ。
昭和の末期になってホラーコミック雑誌が現れても、文芸誌では、たまに特集されるだけの分野。
そこへスポットライトをあてたのが、日本ホラー小説大賞でした。
■ホラージャンルが確立したのは30年前
ときに1994(平成6)年、ちょうど30年前のこと。第1回の選考委員は荒俣宏、遠藤周作、景山民夫、高橋克彦の4名(敬称略)。そうそうたる面々です。おいそれと近づくことすらままならぬお歴々なので、本気で取り組んでいると分かりますね。
初期の受賞作品に瀬名秀明著『パラサイト・イヴ』、貴志祐介著『黒い家』、岩井志麻子著『ぼっけえ、きょうてえ』など、誰でも一度は目や耳にしたことくらいあるだろう作品が受賞作一覧に連なっています。
受賞のハードルは高く、該当作無しの回も珍しくない。なにしろ第1回からして大賞が出なかったくらいだもの。
最終選考に残った面々のその後を調べてみると、いかに難関の新人賞なのかがよく分かる。短編賞と長編賞の2部門それぞれ候補作が5作ほど毎回上がるのだが、試しに合併された第19回の最終候補者について追いかけてみると、全員が後年デビューしています。一人残らず、それなりの実力者だったわけです。
2人は同年の大賞と読者賞、1人は後年の同賞。1人は松本清張賞を経由してデビューを果たし、残る1人が日本ミステリー文学大賞新人賞からデビューさせていただいた不肖です。ドヤァ!
(「お前は運だ」は禁句ですよ)
いやはや新人の戦いの場で顔(作品)を合わせた5人が、以降も物書きとして生き残るために日々闘っているとは、なんとも因果な稼業ですね。
同賞は怖さに特化した傑作をいくつも世に出しています。列挙したらきりがない。
人間心理を掘り下げるだけでなく、当時の世情を反映した作品が多いのですが、現在読んでも色あせず、背筋が凍る思いがします。