相棒仙之助の死 親身になってくれた紙切りの林家正楽さん
太神楽は2人か3人でやるものだから、仙三郎は弟子の仙志郎(当時は仙一)と高座に上がった。仙志郎は仙三郎の長男で、1993年に18歳で入門していた。
「アニメーター志望で、アニメの専門学校に入って勉強してましたが、あの世界も大変らしく、あきらめて入門したんです。あたしが出した条件は、落語家の前座と同じように、寄席の楽屋で働いて修業すること。これがよかった。まず、行儀作法を覚える。それと、皆さんに名前を覚えてもらえる。仙之助・仙三郎はどっちが仙三郎か、なかなか覚えてもらえませんでしたから。それに落語の稽古をしたことで、太神楽の口上がうまくなった。これは大きいですね。3年間前座修業するところ2年で免除してもらい、本格的に太神楽師の修業をしてる時期に仙之助が亡くなったわけです」
さらに仙三が入門し、2002年4月から鏡味仙三郎社中として、3人でやっている。
「仙三は国立劇場太神楽研修の第2期生です。この研修制度は業界にとってありがたいものでした」 =つづく
(聞き手・吉川潮)