相棒仙之助の死 親身になってくれた紙切りの林家正楽さん
2001年4月、相棒の仙之助が食道がんで余命3カ月を宣告された。当人には隠した。5月には退院し、仙之助・仙三郎は高座に上がり続けた。
「連日の寄席出演は体力的に無理でしたけど、5、6回は仕事をしましたか。9月11日に仙之助の親友で落語家、三遊亭小金馬さんの会に助演で出ました。『そこには絶対に行く』と前々から言ってましたので、気力で余命を半年に延ばしたようなもんです。『無理しないで、高座に顔を出すだけでいいから』と言ったんですが、本人がどうしてもと言い張って、花笠の曲取りをやった。無心になると痛みを忘れるもんなんですね。その夜、帰宅したとたんに倒れて病院に運ばれ、翌朝の5時に亡くなりました。9・11、アメリカで同時多発テロが起こった朝です」
前夜まで曲芸を演じたのだから、太神楽師の職を全うした最期と言える。1人になった仙三郎は落ち込んで、太神楽師を続けるべきかどうかとまで悩んだという。
「そんな時、親身になって相談に乗ってくれたのが、紙切りの林家正楽さんです。持つべきものは友達で、ありがたかったですねえ。彼がいなかったら、やめていたかも知れません」