古関裕而の人気曲「高原列車は行く」の舞台はJR小海線か
■地元で「マッチ箱」と呼ばれた小さな列車
さて「高原列車は行く」だが、場所はどこを想定してつくられたのだろうか。実は、これについては議論があるところ。発表された当時は、日本でもっとも高い標高を走るJR小海線の野辺山高原(長野県)がモデルになっているという報道が多かった。
しかし、この説については、福島県民の中には反発する人も少なくないはず。歌碑があるのは福島県猪苗代町。丘自身も詞は磐梯山のふもとを走っていた沼尻軽便鉄道(1969年廃線)を思い浮かべながら書いたと語っているからだ。幼いころ、体が弱かった丘少年は学校の遠足などの行事に参加できなかった。代わりに、休みになると乳母に連れられ、この列車に乗って、猪苗代湖畔の風景を楽しんだという。
ただ、この鉄道は高原列車のイメージにはほど遠かった。もともと、沼尻鉱山で採掘される硫黄鉱石を運ぶために敷かれた鉄道だった。磐梯山のゲレンデに向かうスキー客も利用したが、列車の大きさはとても小さく、地元の人たちからは「マッチ箱」と呼ばれていた。