小松政夫さんが語った仕事人生 1日24時間働いて飲んで…
細かい気配りとサービス精神、人を引きつけてやまないユーモア。それは横浜トヨペットのトップセールスマン時代からのもので、車が庶民には高根の花だった昭和38年に月22台も売り、大卒初任給が1万4000円前後だったところ、月収12万円もの手取りがあったのは有名な話だ。熱血サラリーマンは芸能界でもモーレツ人生を走ったが、さすがに異変がきた。
「一度も体調不良で仕事を休んだことがないんですよ。60歳の頃、さすがに忙しい日が続き過ぎてもう限界と、14日間の休みをもらうことにしたんです。でも、いざ休みになると朝はゴルフ、夜は酒を飲みまくり、ほとんど寝ないで4日間遊びまくり。完全にオフだった5日目、気がついたらバスタブに倒れ込むように入っていて、顔面にシャワーがザーッと当たっていたんです」
■「笑わせて笑わせて最後にホロリ」
救急車で搬送された病院で、敗血症と診断された。たまりにたまった長年の過労が原因であったが、10日間の入院で療養後、また同じように走り始めていた。