“民放の雄”TBSが昭和43年、午後のワイドショー戦線に参戦
これら3つの柱に支えられたTBSは「民放の雄」と呼ばれていたが、そんなTBSでも、まったく振るわない時間帯もあった。平日のお昼である。平日の正午、桂小金治の司会で人気を博したのがNET(現・テレビ朝日)で放映していた「アフタヌーンショー」である。事件や事故、社会の不条理に、桂小金治が高座さながらに声を荒らげるのが名物となり、連日25%以上の高視聴率を叩き出した。
■午後のワイドショー戦線に参戦
この異常人気を他局が見過ごすはずがない。日本テレビは青島幸男と中山千夏を司会に据えた「お昼のワイドショー」をスタートさせ、NETと激しい視聴率戦争を繰り広げた。
「民放の雄」TBSもこの戦いに参戦を決める。そこで、NETや日本テレビと差別化を図ろうと、「各曜日・男女日替わり司会者」という今までにないスタイルのワイドショーを立ち上げることになった。
タイトルは「0スタジオ おんなのテレビ」である。男性司会者は、月曜・立川談志、火曜・犬塚弘、水曜・楠本憲吉(作家)、木曜・小松左京(同)、金曜・丸山明宏(現・美輪明宏)と個性的な面々が出揃った。