ティアラ暴走で「チェッカーズ」が再評価される理由 ジャニーズを凌ぐ人気と冷静なファンの質
「ヤマハのコンテストでグランプリを受賞し、デビューが決まったチェッカーズはドゥーワップバンドとして上京した。しかし、周囲のプロデュースでチェックの洋服を着たり、奇抜な髪形をしたりして、アイドル路線に変わった。84年2月に視聴率の高かった『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』で歌唱すると、ジャニーズが圧力を掛ける間もないほど、すぐに人気が出た。当時、最も人気のあった音楽番組『ザ・ベストテン』はハガキリクエストが順位に関係していたし、中立公正なランキングを誓っていたので、ジャニーズがどうこうできる余地もなかったのでしょう」(音楽関係者)
チェッカーズは当初、アイドルを輩出している芸能事務所ではなく、中島みゆきやチャゲ&飛鳥などアーティスト色の強い『ヤマハ音楽振興会』の所属だった。そのため、ジャニーズはノーマークだったのかもしれない。当時のアイドルは清純さを求められ、優等生的な発言を繰り返していたが、チェッカーズは自由奔放さも売りにしていた。
■アイドルに御法度の下ネタも辞さず
「彼らは色んな意味で、それまでの芸能界の慣習を壊していきました。アイドルに御法度の下ネタをバンバン言っていました。生放送の歌番組で吉川晃司がデビュー曲『モニカ』のサビで『サンクス、サンクス、モニカ』と歌うと、藤井郁弥が下ネタの替え歌を作って笑っていました。ジャニーズのアイドルには絶対に言えない自由な発言も人気の理由の1つだったと思います」(前出の音楽関係者)