「胎動」と「混迷」が交錯するシンドイ2年間
しかし、本音ではどうだったのか。というのは次に、こう付け加えているのだから。
──<しかし、これはシンドイ戦いです>。
大衆性と実験性の間で、やれるだけのことはやってきた自負もあったろう。そして「大衆性」の面では、近藤真彦や田原俊彦と戦っていく覚悟もあったはずだ。
しかし、それでも「シンドイ」……。
自らの年齢(84年元日時点でまだ35歳だが、今と違って当時の30代は完全な「中年」である)や相変わらずの繁忙に加えて、あれほどキレッキレで信頼できたスタッフの感覚が鈍り始めていることが大きかったのではないか。
不発に終わったシングル「きめてやる今夜」、そしてアルバム「女たちよ」。セールスだけでなく、作品としても会心作とは言えなかった。逆に「晴れのちBLUE BOY」という会心作であっても、世間は付いてこない。
これでは本格的に「シンドイ」──このまま惰性で行くのではなく、人間関係を一度リセットして、新しい道へと思うのも、自然なことだったと思うのだ。