追悼みのもんたさん プロ野球「珍プレー・好プレー」のアテレコ“特別編”を隣で聞けた貴重な思い出
90年代にはもう、自分の番組のターゲットを50代主婦にしていた
テレビのスターになっても、古巣の文化放送を大事にして、土曜午後の「みのもんたのウィークエンドをつかまえろ」は14年まで継続。
その番組で私は90年代に3年ほど中継担当のレギュラーだった。
「大ちゃん、今日もよろしくね」と、私に「大ちゃん」と親しく呼んでくれていた。
番組のロケに同行した時に、大勢の主婦が押し寄せたのだが、隣にいた私に小声で「僕の番組ターゲットは50代女性だから」と笑わせてくれた。みのさんは若者のテレビ離れが加速していく中、中高年の視聴層を引き付けたテレビの功労者でもあった。
スターになっても常にひとりで行動。番組終わりに廊下で会えば「お疲れさま! これからお出かけだから」とフットワーク軽く局の階段を下りていく姿が印象的。テレビに出ている時のスーツ姿とは違い、ラフな服装で颯爽としていた。
私は小説家デビューした頃に番組を卒業。みのさんは放送で私のデビュー作のタイトルを連呼して祝ってくれた。
もちろん他の出演者にも励ましの声がけをするなど常に気遣いのある方だった。梅沢富美男氏が「粋な大人の飲み方を教えてくれた師匠」とコメントしていたが、その通りに「粋」な人だった。ヤボなことは決して言わないタイプだったと、多くの著名人のコメントからもうかがえる。
そんな人柄がテレビを通して主婦に届き、金太郎アメ現象になったのだと思う。