故みのもんたさん 闘病生活の中で本紙に語っていた「老い」と「人生最期の願い」
昭和から平成にかけて“日本一忙しい司会者”として一時代を築いたみのもんたさん(本名・御法川法男)が1日、亡くなった。享年80歳。
1月中旬、都内の焼き肉店で食事中に肉を詰まらせ救急搬送。一時心肺停止に陥っていたというが、すでに2019年には難病のパーキンソン病を発症し、闘病生活を続けていた。
1967年、立教大学卒業後、文化放送に入社。深夜番組「セイ!ヤング」で人気となり、79年に独立するも、思うように仕事が入らなかったため、家業の水道メーター製造販売「ニッコク」に入社。
89年に「午後は○○おもいッきりテレビ」(日本テレビ系)に抜擢されると、快進撃が始まる。「どうぶつ奇想天外」「学校へ行こう!」(TBS系)、「クイズ$ミリオネア」(フジテレビ系)、「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS系)など、最盛期はレギュラー番組が16本となり、2006年には「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」として、ギネス世界記録にも認定された。
同時に、銀座の高級クラブでの豪遊や派手な女性関係などの話題にも事欠かなかった。ワイドショー関係者の話。
「噂になった女性なんて、1人や2人ではありません。でも、みのさんの遊び方はキレイで、時代背景もありますが、今のように批判されることもなかった。2020年(当時76歳)には、7年前から交際していた当時35歳の元銀座のホステスに、都内の1億5000万円のマンションを“手切れ金”として贈与したと週刊誌に報じられて、話題になりました。みのさんは、その頃から、『終活』を始めていたんです」
この時すでに、「若い人たちの会話についていけなくなってしまった」との理由で、「秘密のケンミンSHOW」(読売テレビ・日テレ系)を降板(20年3月)。「引退」と騒がれていた。