舛添要一(上)カイロ大首席卒業に「学生は私1人だから」と…37年間、見事にだまされた
国際政治学者・舛添要一(上)
2人は浅からぬ間柄だ。因縁と言ったほうがいいかもしれない。国際政治学者の舛添要一氏と東京都の小池百合子知事は1980年代に知り合い、熱愛がウワサされたこともある。舛添氏は「政治とカネ」で2016年に都知事を辞職。後釜に座った女帝は舛添都政をことごとく否定した。中東の地域大国エジプトを巻き込んだ壮大な学歴詐称疑惑をどう見ているのか。
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「初めて会ったのは1983年。私はフランスで社会党のミッテラン大統領が誕生したのがきっかけでテレビに出るようになり、彼女は『竹村健一の世相講談』(日本テレビ)のアシスタントをしていた。名刺代わりというのか、サイン入りの本をもらったんですよ」
そう言って差し出したのは、小池の著書「3日でおぼえるアラビア語」(83年出版)。カバーの著者略歴には〈カイロ大学文学部社会学科を日本人で2人目、女性としては初めて、しかも首席で卒業〉と記されている。
「私はパリ大学の研究所など、欧州に都合5年ほど留学しました。仏語が母語ではない日本人の学生は逆立ちしても首席で卒業なんてできない。そんな経験から〈すごいねえ、一体どうやって?〉と聞いたら、〈学生が1人しかいなかったからよ。首席でもあるし、ビリでもあるのよ〉と笑いながら答えたのを鮮明に覚えています。エジプトの事情に疎かったので、そんなものなのかと。37年間、見事にだまされていました。前回の選挙(20年の都知事選)の直前に大騒ぎになるまで。彼女は一時、名前の表記を『小池ユリ子』にしていた。理由を聞くと、〈吉永小百合とゴッチャにされて、小池小百合と書く人がいるから嫌になっちゃうのよ〉って。とにかく上昇志向が強い人ですよ」
舛添氏も寄稿した共著「外国語をどう学んだか」(92年出版)に、「小池ユリ子」は〈19歳の夢はカイロ大学〉という文章を寄せている。