ヤクルト1位・奥川恭伸 佐々木朗希の163kmで見失った1カ月
母は実業団でバドミントン選手
星稜高の林和成監督(44)も隆さんについてこう話す。
「ダンディーで凜とした方。人格者で、野球に対して熱心なお父さんです。うちの投手コーチとお父さんが同世代で、小中学校時代から同地区で野球をやっていた仲だったので、奥川のことを相談していたこともありましたね」
母の真由美さんは小学生の頃からバドミントンを始め、実業団でもプレーした経験を持つ。奥川が小1の頃から遊び感覚でバドミントンを触らせた。
みるみるその魅力にハマり、宇ノ気ブルーサンダーで主将を務めていた6年時、学校内で行うクラブ活動はバドミントンクラブに入っていた。
宇ノ気中では軟式野球部に所属。星稜に進むと、1年春からベンチ入り。順調にエースへの階段を上っていったが、林監督は「3年間で、いいタイミングで壁が立ちはだかってくれた」と言ってこう続ける。
「1つ目の壁は1年秋。1つ上のエースの子がケガをして県大会の決勝で奥川が先発することになりました。相手は日本航空石川で、県で5本の指に入る強力打線。試合は10―9で勝ちましたが、五回途中8失点と打ち込まれた。その後、北信越大会の決勝でも日本航空石川と当たり、奥川が5回7失点とメッタ打ちされた。これが彼の人生初の挫折だったんじゃないかと思います。1カ月間で同じチームにボコボコにされ、その悔しさをバネに冬場は体づくりと投球フォームを固める作業に費やしました。体重は冬の間だけで3~4キロ増えたと思います」
星稜の場合、冬場の投げ込みは3勤1休、ブルペンは15球×4セットの60球がベース。1イニング単位を想定した投球練習を行っている。投手としての基礎を完成させ、絶対的エースとなった3年春。またしても壁が立ちはだかる。それが、大船渡の佐々木朗希(18=ロッテ1位)だった。
「3年の春、(U18高校代表の紅白戦で)佐々木くんが163キロを出したときは、奥川は冷静に現実を受け入れられていなかった。『自分も、もっとスピードを追い求めないといけないんじゃないか』と思うようになって自分を見失っていました。『投手は総合力で勝負するもの。スピードが勝負じゃない』と説得して、本来の奥川を取り戻すのに1カ月間くらい時間がかかりました」(林監督)
ヤクルトでは総合力の高さをどれだけ見せられるか。
▽おくがわ・やすのぶ 2001年、石川県出身。かほく市立宇ノ気小学校2年のとき、「宇ノ気ブルーサンダー」で野球を始め、宇ノ気中では軟式野球部。星稜では1年春からベンチ入り。小4からバッテリーを組む幼馴染みの山瀬慎之助(巨人5位)と2年春から4期連続で甲子園に出場。3年夏は決勝で履正社に敗れて準優勝。最速158キロ。184センチ、82キロ。右投げ右打ち。血液型O。
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