野茂英雄
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日本の先発投手に改めて問いたい「もっと投げたくはないか」
開幕前、ロッテの吉井理人監督と話をした。 「あれだけの投手を中6日、中7日で使うのはもったいない。最低でも中5日で放らさにゃ」 と、佐々木朗希(22)の名前を挙げて、私は言った。これまで、ロッテと吉井監督は慎重に慎重を...
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明大・宗山塁は今秋ドラフトの超目玉!「走攻守」“忖度なし”のガチ評価スカウトに聞いた
2024年は「宗山ドラフト」になる──。 スカウトが異口同音にそう言うのは、今秋のドラフト超目玉候補、明大・宗山塁主将(3年=広陵)のことだ。 今月6日の明大の始動日には、パ・リーグ全球団と巨人の計7球団10人のスカ...
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仰木彬監督は私に「野茂のフォームを変えようとするコーチがいたらアンタが止めないと」
「いままではオレがいたから、コーチやOBがあれこれ言っても野茂はいまのままでいいんだと言うこともできた。オレがいなくなるのだから、これから先、野茂の投球フォームを変えようとするコーチがいたら、アンタがしっかり止めないとあかんよ」 ...
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トイレで酔いつぶれ、野手のミスに平然…野茂英雄のそんな姿が周囲との距離を縮めた
周りを見渡すと、新人の野茂英雄の姿が見当たらない。いったい、どこへ行ったのか……。 1990年2月の日向キャンプでのことだ。近鉄投手陣は、最初の休日前夜に新人歓迎会をやるのが恒例で、場所は日向市内の居酒屋だった。 当...
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ドラフト1位で近鉄入りした野茂英雄はマスコミ対応に苦慮…一緒に座禅を組もうと誘った
1989年11月26日のドラフト当日は、近鉄の同僚・村上隆行の結婚式だった。私は彼の披露宴に出席していた。 当時、新日鉄堺の野茂英雄に近鉄を含む史上最多の8球団が競合、当たりクジを近鉄が引いたというニュースが披露宴の最中、司...
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“タクシー運転手風”野茂英雄氏が西武・栗山の名球会ブレザーを贈呈…あの天敵と共演も
人気プロ野球選手と記念撮影をする西武ファンのタクシー運転手――ではない、念のため。 15日、2000安打を達成した栗山巧(38)の名球会ブレザー授与式がメットライフドームで行われた。 ブレザーを着せたのは、野茂英雄氏...
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イの一番に見つけ出した野茂英雄の「左肩が動く」クセ
「ロッカーでストレッチをするので、どうぞ中へ入ってください」 1997年夏、ボビー・バレンタインに招待され、ドジャースタジアムへ向かった。関係者を通じて、ドジャースで大活躍していた野茂英雄に挨拶をしたい旨を伝えると、快くロッカ...
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巨人菅野“後ろ向き”のメジャー挑戦…先駆者に鼻で笑われる
「来季のMLB(大リーグ機構)のシーズンがどう行われるか、そこだけですね」 8日、巨人の菅野智之(31)がこう言った。 MLBがこの日、菅野のポスティング申請が受理され、全30球団に契約可能選手として通知したことを受け...
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今はなき近鉄最後のエース岩隈久志に感じる“野武士の気骨”
今季限りで引退した選手の中で、私は虎党だから藤川球児に思い入れがあるわけだが、他に誰か挙げろと言われれば岩隈久志と答える。最後の所属球団は虎党の天敵・巨人だったが、それでも大好きな投手だった。 日米通算170勝を挙げ、沢村賞...
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タッチの差で野茂英雄さんに会えず 大リーグ時代の心残り
僕がメジャーでプレーしたのは2008年と09年。この時期はさまざまな日本人選手がアメリカで活躍していましたが、彼らと交流ができたかといえば、そうでもなかったんですよね。 松井秀喜とはニューヨークとクリーブランドでそれぞれ1回...
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唯一の大学生だった小久保裕紀は物おじせずサザンを熱唱
1992年のバルセロナ五輪の20人の代表メンバーは社会人が19人で大学生が1人。前回大会のソウル五輪は、野茂英雄(新日鉄堺)や古田敦也(トヨタ自動車)ら、スター選手の集まりであったのと比べると、飛び抜けた選手が何人もいたわけではなか...
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石井丈裕は完全アウェーの韓国戦で悔しさをあらわにした
1988年ソウル五輪では、のちに西武ライオンズで活躍する2人の右腕がチームの中心にいた。石井丈裕(プリンスホテル)と、潮崎哲也(松下電器)である。 当時23歳だった石井は、野茂英雄(新日鉄堺)、潮崎による投手3本柱の軸だった...
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広島・佐々岡真司が「無形の力」を爆発的に転化させた瞬間
1989年夏、私は都市対抗が行われる東京ドームで連日、選手のプレーを追っていた。特に印象に残っているのは、7月24日に行われた広島市(三菱重工広島)対東京都(NTT東京)の試合である。 その日の先発は、広島が佐々岡真司(NT...
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キューバ親善試合直前 野茂に「堺へ帰りなさい」と告げた
キューバとの親善試合の直前合宿の集合日、野茂英雄(新日鉄堺)が私との面談を求めた。右肩に違和感があり、大会での登板を控えさせてほしいとのことだった。大会後には自チームの名古屋遠征が控えており、そこで投げる可能性もあるという。私は選手...
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無名の高卒新人・野茂は文句ひとつ言わないタフさがあった
ソウル五輪の前年の1987年秋、19歳の野茂英雄(新日鉄堺)は社会人野球の新人研修会に参加した。82年にスタートしたこの研修会は、入社1~3年目の若手が対象。近い将来、日本代表としてプレーできるような選手を社会人野球全体で発掘する場...
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野茂英雄の“真骨頂” 全身が震えあがるほどの凄みを感じた
30年以上経った今も、脳裏に焼き付いている。 ソウル五輪日本代表のコーチを務めていた1988年、8月23日から9月7日にかけて、イタリアで12カ国が参加して行われた第30回世界アマチュア野球選手権を戦った。2週間後にソウル五...
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野茂の言葉でハッとした…プロ野球は一軍枠拡大より縮小を
それを聞いて、野茂英雄の言葉を思い出した。 6月19日に開幕を迎えるプロ野球で、一軍枠の拡大が検討されているという件だ。 コロナ禍で調整や練習を制限された選手のシーズンでの体力消耗を考慮し、現行ルールの「一軍枠29人...
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来場者も過去最高に “野茂パワー”に中日全体が感謝感激
効果は絶大だ。 3日、前日に続いてキャンプ地を訪れた野茂英雄氏(50)。二軍球場で「NOMOジャパン」の教え子、根尾昂(大阪桐蔭)との再会を果たすと、一軍のキャンプ地へ移動し、実戦形式の練習を視察。与田監督(53)に「(選手...
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権藤博×二宮清純 平成“トルネード旋風”野茂英雄を語る<4>
平成の日米球界を席巻した野茂英雄(50)と親交の深い野球評論家の権藤博氏とスポーツジャーナリストの二宮清純氏との対談の最終回。両氏は人間・野茂の魅力を「飾らない、変わらないところ」と口を揃える。 ◇ ◇ ◇ ――近...
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権藤博×二宮清純 平成“トルネード旋風”野茂英雄を語る<3>
平成7年となった1995年、ドジャースに入団した野茂英雄(50)はメジャーで2度のノーヒットノーランを達成する。1度目はメジャー2年目のコロラド・ロッキーズ戦。敵地クアーズフィールドは標高1600メートルの高地に立ち、打球がよく飛ぶ...
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権藤博×二宮清純 平成“トルネード旋風”野茂英雄を語る<2>
野茂英雄(50)は平成の幕開けとなった1989年のドラフト1位で近鉄に入団。95年には大騒動の末にドジャースに移籍し、全米に「NOMOマニア」なる熱狂的ファンを生んだ。そんな野茂と親交の深い野球評論家の権藤博氏とスポーツジャーナリス...
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権藤博×二宮清純 平成“トルネード旋風”野茂英雄を語る<1>
来年4月末に幕を閉じる「平成」の球界は、この男の登場とともに始まった。野茂英雄(50)。平成元年の1989年ドラフトで史上最多の8球団から1位指名を受けた末、近鉄に入団。1年目に最多勝、防御率、奪三振、最高勝率と投手4冠を独占し、新...