平成芸能界 直撃の30年史
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披露宴で確執発覚 神田沙也加に見た母・松田聖子との相克
平成9(1997)年に松田聖子(57)は神田正輝(68)との12年の結婚生活にピリオドを打ち、「聖輝の離婚」との見出しがスポーツ紙1面に躍った。 聖子はニューヨークで知り合った「青い目の愛人…
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百恵さんが「このおじちゃんはね、ママのお知り合い」と
平成31年、2019年1月17日は山口百恵さんの還暦の誕生日だった。あの日本武道館でステージに白いマイクを置いたファイナルコンサートから来年で40年、「幸せになります」との誓いはかなったのか。 …
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結婚はせず出世も…有働由美子「本音で生きる」という流儀
少子高齢化の進んだ平成では、晩婚や未婚の男女も増え、「おひとりさま」との言葉も出てきた。 それは芸能界も同じ。有働由美子アナは平成13(2001)年から3年連続で紅白歌合戦の紅組司会を務める…
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タイプの俳優と共演で…樹木希林さんが見せた“乙女の表情”
樹木希林さんに女の子のお孫さんが誕生したのは平成11年、1999年のことだ。この2年前、長女の内田也哉子さんと夫の本木雅弘との間に長男も生まれており、54歳でおばあちゃんになっていた。 数々…
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南果歩から渡辺謙の“恨み節”は一度も聞いたことがない
平成の30余年、あまたの結婚離婚劇が繰り広げられた。南果歩もそう。平成7(1995)年にミュージシャンで作家の辻仁成と結婚し長男に恵まれるも、わずか5年で離婚。辻の不倫が原因と報じられた。 …
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エリカ様は張り込み班に「なに撮ってんだよばかやろう!」
平成19年、2007年9月29日、映画「クローズド・ノート」の初日舞台挨拶は平成芸能史に残るハプニングがあった。 沢尻エリカ(当時21)の「別に」騒動である。金髪のかつらに肌を露出したキャミ…
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直撃取材を“仁王立ち”で拒否…酒井法子が見せた度胸と貫禄
東京メトロ丸ノ内線に中野新橋駅から乗車した酒井法子が、国会議事堂前駅で下車し、高いヒールの靴を鳴らして歩いていく。階段を上がって地上へと出るところで、ふいに振り返り、仁王立ちして言った。 「あ…
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記者に華奢な手を差し出し…葉月里緒奈に感じた“魔性の女”
平成7年、1995年2月に封切られた映画「写楽」はフランキー堺の企画総指揮の話題作だったが、殺到した芸能マスコミの目当ては主演真田広之(当時34)とヒロイン葉月里緒奈(同19)であった。この作品の共…
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「超面白かった」宇多田ヒカルは直撃取材直後にブログ更新
平成10(1998)年は当時15歳の少女のデビューアルバム「First Love」が累計765万枚を売り上げる大ヒットを記録した。米ニューヨーク出身の宇多田ヒカル。「新宿の女」「女のブルース」「圭子…
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酒気帯びで自殺説まで…ビートたけし「バイク事故」の衝撃
東京は明治記念館と赤坂御用地の間を走る安鎮坂を原付バイクがエンジン音を高く響かせた。カーブを曲がり切れずガードレールの鉄柱に激突、運転していたビートたけしは頭部に重傷を負い生死の境をさまよった。平成…
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カラオケご一緒に…ドン底の華原朋美に感じた気立ての良さ
篠原涼子の「恋しさとせつなさと心強さと」の大ヒットが、小室時代の幕開けだった。平成6(1994)年7月にリリースされた当初は、こんな声がマスコミ内にはあった。 「すごい再生工場だなあ」 …
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拒絶のトヨエツと冗舌の羽賀研二…過熱した取材合戦の記憶
「取材には一切応じません。撮影もやめてください!」 東京都世田谷区等々力の住宅街に、あの個性的な声が響く。言葉を尽くしても、聞く耳を持たない。カメラマンは一眼レフをアスファルトに置いて、両手を…
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母・光子さんの陰で…フィルムに焼き付いた宮沢りえの“闇”
平成3年の1991年10月の朝、新聞をめくっていたサラリーマンは全面広告に目を留めた。18歳のアイドル、宮沢りえの写真集「Santa Fe」。樋口可南子の「water fruit」でこの年から始まっ…
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「お話しできることはありません」明菜に感じた悲劇の影
平成の幕開け1989年7月、血まみれの中森明菜(23=当時)が慈恵医大に緊急搬送された。マッチこと近藤真彦(25=同)のマンション浴室で自殺を図り、左肘内側に深さ2センチ、長さ8センチの神経に達する…