そこに昭和がある旅
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十和田湖のヒメマスをリーズナブルに食べられる食堂(青森・十和田市)
テレビCMで流れた美しい自然の風景が、何年経っても瞳の奥に焼き付いていた。 ある日、この目で見てみたい、その気持ちに突き動かされ、車を走らせて青森県を目指した。目的地は秋田県との県境に位置す…
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「深川の人情とお節介から始まった」葬儀社(門前仲町)
2010年10月、胆のうがんのため、78歳で亡くなった「親分」こと元プロ野球ロッテ、日本ハム監督、大沢啓二(本名・昭)氏の通夜が、都内で行われた。立大の後輩でもある巨人の長嶋茂雄終身名誉監督や、テレ…
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大阪・豊中「ラジオ歌謡の会」があるパブ メンバーの平均年齢は80歳超
玉音放送から9カ月後。昭和21年5月1日に、NHKラジオ第1で「ラジオ歌謡」という歌番組が始まった。 同37年3月31日までの16年間で全846曲。大戦で傷つき、復興の道を歩む人々の心に夢と…
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泣き笑いの人間模様、50年近く「おふくろの味」を提供する食事処(大阪・江戸堀)
男はマザコン。誰も彼もがそうだ、とは言えないが、おおむねマザコンである。映画監督の新藤兼人にこんな話がある。90歳の時、ある新聞記者に「今、一番会いたい人はどなたですか?」と聞かれ、即座に答えた。「…
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夫婦で50年近く営む酒店(千葉・浦安)目指すは生涯現役
「千葉県の浦安」と聞けば、多くの人は華やかなディズニーランドを連想するだろうが、地元民は違う。 昭和56年に当時の埋め立て計画が完了し、いまや高級住宅街が広がる「新浦安」と、かつて漁師町だった…
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創業70周年のお好み焼き 夢を断念して家業を継いだ店主のこだわり(兵庫・尼崎)
「そういえば尼崎に年季の入ったお好み焼き店があったなぁ。子どもの頃、母親と一緒によく行った。お好み焼きも焼きそばも、本当にウマいんだ」 年配の知人がこうつぶやいた。彼の少年時代にレトロ感たっぷ…
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墓参りの移り変わりを見つめ続ける霊園のお茶屋の5代目女主人(谷中)
「昔は2階の広間で法事や会食をすることが多かったですね。お年寄りからお子さんまで、家族だけでなく親戚の方たちも大勢集まって……。仕出し屋さんに料理を頼んでお出ししたものです」 こう言うのは谷中…
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20年選手の古参機に尺貫法の物差し…2代目と3代目が伝統を守り続ける畳店(板橋)
コロナ禍以前、私は1年の3分の1ぐらいは海外をほっつき歩き、残りを東京で過ごしていた。ところが海外はおろか国内旅行すら難しくなって自室にこもる日々が続くと、普段に増して畳の目に詰まった塵や縁に挟まっ…
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創業63年の中華料理店(大阪・豊中)先代の味を後世に伝えたいという店主の心意気
おやじの味は、必ず残す。この舌がある限り、絶対に大丈夫や。負けへんよ。おやじの料理は、永遠に不滅や――。 浅野佳幸さん(60)がそう誓ったのは、45歳の時だった。ステーキ料理で有名な大手外食…
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甘味処「いり江」(門前仲町)50年前のオープン時からすべて手作り
地元出身でモデル、女優として活躍する中村アンのオススメは「あんみつ」(760円)だそうだ。テレビや雑誌で「通い詰めた店」として度々紹介している。テレビで見ない日はないマツコ・デラックスは冬季限定の「…
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創業108年の和菓子屋 3代目店主が語る「細雪」の思い出(兵庫・芦屋)
相当、昔の話になる。芦屋川に吉永小百合がやって来た。映画「細雪」の撮影の主役である。どこで知るのか。神戸から大阪から人が集まった。大阪のおばちゃんは今もそうだが、昔も同じ。よくしゃべる。 「あ…
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懐かしのバスガール 車掌の指名もあった当時の話(板橋)
「夏がくれば思い出す……」という歌があるが、私にとって夏がくるたびに思い出されるのは、学生バイトでのバス車掌の日々。上高地の辺りで制帽かぶって車掌カバン下げて、車内放送に切符切り、方向幕替え、発車オー…
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2度目の東京五輪を迎えた洋食店 母から息子へと受け継がれた57年間の足跡(世田谷・野沢)
前回の東京五輪が行われた昭和39(1964)年の5月、現在の場所に「グリルさつき」としてオープンした。 オーナーの黒澤基弘さん(70)の母・きんさん(享年88)が店を切り盛りした。 「…
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妻の実家の70年以上続く銭湯を継いだ4代目店主の思い(大阪・天下茶屋)
芸人の街、天下茶屋。かつては東野幸治、辻本茂雄、今田耕司らが住んでいた。 数駅隣には通天閣や天王寺動物園、世界の大温泉スパワールドなど、家族そろって出掛けるような建物や施設があり、関西人にと…
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創業240年の駄菓子屋 13代目店主が語る終戦時の風景(雑司が谷)
東京・雑司が谷の鬼子母神堂境内にある「上川口屋」は創業1781年、代々当主が参拝した加賀藩前田家御用達の土産物店がルーツだ。 現在の店主は13代目の内山雅代さん。終戦時は5歳で、店先から見た…
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戦禍を逃れた魚屋の5代目店主が見つめる「おかず横丁」の変遷(台東区・鳥越)
江戸時代に馬に乗ることが許されない下級武士らが多く住んでいたことが地名の由来になったという御徒町。都営地下鉄の新御徒町駅から秋葉原方向に7分ほど歩くと「おかず横丁」が見えてくる。 通りの長さ…
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元競輪選手の父子が大正時代から営む自転車店(板橋)店主が語る自転車人生
5月、小林亜星氏が亡くなった。昭和49年生まれの身としては、氏のCMソングでも日立の「この木何の木」なら馴染みがあるけれど、昭和41年のブリヂストン「どこまでも行こう」となるとちょっと接点がない。某…
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戦時中から3代続く作業服店(門前仲町)早朝6時半開店の理由
江戸時代初期に創建された江戸最大の八幡様「富岡八幡宮」の門前町として17世紀後半から栄えた門前仲町。地下鉄の門前仲町駅から程近い清澄通り沿いに、歴史を感じさせるその店はある。現在は主に作業服などを販…
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40年以上前から変わらない味を提供する定食屋「菊の家」(千葉・南行徳)
日本橋駅から約20分。東西線を都心から離れるように揺られると、“行徳大陸”にたどり着く。 四方を海と川に囲まれたこの地域。東西線では浦安駅、南行徳駅、行徳駅、妙典駅が置かれている。 …
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大正4年創業のせんべい屋(谷中)使う生地も製法も「昔のまま」にこだわる店主の矜持
備長炭がたかれた火鉢を挟んで2人。網の上でひとりがコテと箸を使いながらせんべいの形を整えると、それを受け取った正面のもうひとりは両面を焼き、こんがりとキツネ色の焼き色をつけていく。 炭が燃え…