モノよりコト(体験)を重視する「気まぐれ」消費者
「気まぐれ消費者」テオ・コレイア著 関一則監訳 月沢李歌子訳/日経BP社 1800円+税
社員としての若者になら説教もできるだろうが、消費者としての若者には説教できない。そして両者は同一人物である。マーケティングで必要なのは説教ではなく的確なニーズ把握と応答で、その視点と発想は、実は子育てや若者応対でも役に立つ。
デジタル時代の消費者は、従来の消費者観からいえば、気まぐれでわがままだ。老舗ブランドのご威光も通用しない。欲しいと思ったときには黙っていても手元に届くような究極の利便性を求めつつ、同時に「モノよりコト(体験)」を重視する。この本は、そんな消費者の捉えどころのなさを「液状化した消費者」と形容する。原題は「The Fluid Consumer」。
コンサルティング会社「アクセンチュア」のシニア・マネジング・ディレクターである著者は、このような傾向が今後、不可逆的に進行していくことを予想しつつ、自社ブランドを、体験と利便性いずれを重視するかのスペクトラム上のどこに位置づけるかを決めたり、デジタルを活用して消費者との接点を増やし、個人情報を利用した消費者コミュニティーを構築することの重要性などを説く。
豊富な実践例があり、監訳者の関一則氏の日本版追加章も興味深いが、マーケティング関係者でなくても読んでみて欲しい。接点を増やし、相手の多様な側面に注意を配りながら、何かを一緒に行って体験を共有するのは、人同士の信頼関係の基本でもあるから。デジタル化が進めば進むほど、より基本的な人間らしさに立ち返ることを求められるようなのは、これまで取り上げてきた人工知能の話と変わらない。
このシリーズも今回で最後となる。連載の問題意識は、私たちおじさんが、ともすると「人間らしさ」の軽視の上にアイデンティティーをつくりがちではないかという懸念だった。「世間の厳しさ」とか「競争の激しさ」とか、私たちは言いたがる。
しかし、その私たちが知ってるつもりの世間それ自体も、変化していく。だとすれば、変化の影響をより深く受ける子ども・若者の示す「幼さ・青さ」は、過去ではなく未来、未熟ではなく成熟かもしれない。この「かもしれない」に自分を開いておきたい、と私は思う。お互いがんばろう。