若者の青くささをバカにする世の中だからこそ
「漫画 君たちはどう生きるか」原作/吉野源三郎漫画/羽賀翔一マガジンハウス 1300円+税
青くさい本だ。
中学生にその叔父が教訓を垂れる。「ものの見方について」とか「真実の経験について」とか「人間の結びつきについて」とか。また、「偉大な人間とはどんな人か」とか「人間の悩みと、過ちと、偉大さとについて」とかだ。そして、損得にかかわることでも、自分を離れて正しく判断できるのが偉い人だとか、常に自分の体験から出発して正直に考えていけとか、貧しい人々を見下げるような心を起こすのは哀れむべきバカ者だとか、人間であるからにはすべての人が人間らしく生きていけなくては嘘だとか、言う。
この世界規模でしのぎを削る、生き馬の目を抜くような資本主義の時代に、ちょっとでも気を抜いたら「使えないヤツはいらない」と言われるような結果がすべての世の中で、自己保身だけの「ミサイルマン」がいつ弾をぶち込んでくるかもしれないという緊迫した情勢の中で、「人間は調和して生きてゆくべきもの」だから不調和を苦しく感じるのだ、とか言われても響かない。そんなぬるいことを言っていては、世の中は渡っていけない。
――と現実の厳しさをわかっている人たちから一蹴されてしまいそうなこの本が、発売2カ月足らずでマンガと小説で100万部を突破したという。何が起こっているのか。
岩波ブランドに反応するかつての青年層が主たる読者であろうことは容易に想像がつくが、それだけではないかもしれない。
バブルの最中に「一杯のかけそば」がブレークしたように、結果がすべてだの、カネがすべてだの、現実を直視せよだのといった紋切り型に、私たちがウンザリしてきているのかもしれない。わかったわかった、あんたは厳しい現実を生きてきたのね、えらいえらい。で、人として、それはどうだったの? と。で、私たちにも、そのまま何も変えずに受け渡すの? と。人間らしいって、どういうことなの? と。
世の中がこの本にあるような青くささからはるかに遠ざかってしまったので、正義のふるまいを果たせずに死にたくなってしまうような若者の青くささを小バカにしかできないくらいに神経がマヒしてしまったがゆえに、虚を突かれたような気分になって、多くの人が読んでいるのかもしれない。
この本が最初に出た1937年は、満州事変から6年で、盧溝橋事件勃発の年。今年は東日本大震災と原発事故から6年で、「国難」の年。本当に大事なことって何だろう、と改まって考えてみたくなったとしても、それは現実の厳しさから目を背けることにはならないと思う。