「かくれキリシタン長崎・五島・平戸・天草をめぐる旅」後藤真樹著
先日、世界文化遺産への登録が決定した「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」ゆかりの地をめぐるビジュアル紀行。
潜伏キリシタンとは、「かくれキリシタン」として知られる人々。16世紀に日本でキリスト教の布教が始まるが、信者は秀吉、家康の時代、迫害の末に信仰を禁じられたため、250年もの間、潜伏して何代にもわたって密かに信仰を守り続けてきた。明治に入り禁教が解かれると、かくれキリシタンはカトリックへ復帰した人や仏教徒になった人など、それぞれの信仰の道を歩み始めるが、わずかながらも先祖伝来の「かくれキリシタン」の信仰をそのまま守り続けている人たちが今もいる。
そんなかくれキリシタンの人々の案内で、長い間、人目に触れぬよう大切に守り続けられてきた彼らの聖地や史跡を訪ね歩く。
長崎から車で1時間ほどの西彼杵半島の外海地域は、1970年に国道が整備されるまで、海沿いを船で行き来していたという、まさに陸の孤島のような地である。
この地域の人々が信仰を保ち続けることができたのは、彼らの指導者だった日本人伝道師バスチャンの影響が大きい。信者は、彼が教会暦をもとに復活祭などの聖なる日が分かるよう作った「バスチャン暦」を使って規則正しい信仰生活を送ることができた。今もバスチャン暦にのっとって信仰を続ける信者もいるそうだ。
バスチャンが隠れ住んだといわれる牧野の山中には、往時をしのばせる隠れ家が建てられている。そのバスチャンととともに半島を布教してまわった宣教師・ジワン神父の墓の上に建てられた「枯松神社」や、禁教時代に殉教した伝説の宣教師・トマス金鍔次兵衛が隠れ住んだ洞窟などが、往時の人々の苦難と信仰心のあつさを今に伝える。
一方、五島列島の潜伏キリシタンは、江戸初期に度重なる弾圧でほぼ完全に衰退したが、18世紀末に外海から新天地を求めて移ってきた人々によって再び、その歴史が動き出し、1970年ごろには1万5000~2万人がいたという。
中通島で代々、かくれキリシタンを束ねる組織の「帳方」と呼ばれる役職を務めてきたという深浦家の娘を妻にした坂井さんは、本家に養子に出した息子が10代目を継ぐまで、帳方を担う。当地では、禁教が解けて140年が過ぎた先代の時代まで、潜伏時代と同じように信仰を守り続けてきたという。坂井さん夫婦は、これまで部外者には明かしてこなかったクリスマスやお盆、葬式、そして洗礼の儀式などについても語る。
その他、平戸や天草にも足を運ぶ一方で、何百人もの犠牲者を出した「崩れ」と呼ばれる弾圧や迫害などの歴史や、カトリックに復帰した信者が建てた各地の教会堂なども紹介。
世界遺産登録で注目が集まる同地を訪ねる際の予習ガイドブックとしても最適。
(新潮社 1600円+税)