「怪しい戦国史」本郷和人著 産経新聞出版/2019年
実証性にこだわりすぎると歴史の本質を見失うことがある。19世紀のヨーロッパで史的イエスの探究という流行があった。イエス・キリストの行動や発言をできるだけ実証的かつ客観的にとらえようとする研究だ。その結果、1世紀にイエスという男がいたことは実証できないという結論に至った。他方、イエスが存在しなかったということも実証できなかった。その後のキリスト教神学はイエスがいたかどうかということにはこだわらずイエスの教えと人々が信じていた言説について研究するようになった。
日本史でも、専門家が実証性にこだわりすぎるとわけがわからなくなってくる。この点、本郷和人氏は一級の学者でありながら実証史学の限界をよくわきまえ、物語としての歴史を重視する。本郷氏の織田信長解釈は秀逸だ。
<信長は、くり返しますが「善悪はおくとして」、普通ではない。彼を三好長慶と並べてみたり、一人の戦国武将にすぎないと評価したりする研究者が多くなってきていますが、それは「木を見て森を見ない」ことにならないかな。/脳科学者の中野信子先生は、信長はサイコパスだったんじゃないか、と分析します(「戦国武将の精神分析」)。人の痛みが分からない。だから平気で人を殺せる、と。うん、そうか。/信長がサイコパスだとすると、多くのことが理解できます。ただ一点、「美」について。ここだけがひっかかります。というのは、サイコパスは美しさに無頓着なのだそうです。けれど信長は茶の湯を好み、「新しい城」を創造した。これは美の追究ではないのかな。/この点を中野先生に率直に尋ねたところ、(中略)茶の湯を好む、城を造ることが生じるメリットを信長が計算していたとは考えられないか。きわめて計算高いというのもサイコパスの特徴だ、というお答えでした>
このように創造力を膨らませて歴史を読み解くと面白い。
★★★(選者・佐藤優)
(2019年9月27日脱稿)