「またいつか歩きたい町私の町並み紀行」森まゆみ著
地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を創刊し、東京の古い町を守る運動を続けてきた著者が、各地の活気に満ちた「古くて新しい」町並みを訪ね歩くビジュアル紀行。
B級グルメで一躍全国にその名を知られた秋田県横手市の南東に位置する増田町は、「内蔵」と呼ばれる母屋と接続する鞘付き土蔵が数多く残る。
通りに沿って立ち並ぶ「切妻造り妻入り」の商家に足を踏み入れると、その奥行きにびっくり。中には100メートルを超えるものもあるという。
家の中を通り土間が貫き、表側から店、帳場、仏間、居間、水屋と続いて、その奥に見事な内蔵が待ち構える(写真①)。蔵は、収蔵だけでなく畳を敷いて冠婚葬祭を行うなど、家族のプライベートな空間として使われてきたそうだ。
厳しく長い冬、雪や風雨から人々を守ってくれた内蔵だが、生活環境の変化とともに、やがて邪魔者扱いされるようになってきた。
そんな内蔵の美しさに気づいたのは町の商工会の人だった。仕事先で訪ねた店先で、のれんの隙間から見えた蔵に感動。商工会では約20年前からメイン通りを「くらしっくロード」と命名し、保存活動を展開。「たなぎもの」(秋田弁でやっかいもの)だった内蔵が、宝物だったことに気づいた住民らの働きかけで「伝統的建造物群保存地区」の指定にこぎつける。
内蔵と暮らす住人たちをはじめ、町づくり、町再生の当事者らに話を聞きながら、その歴史を振り返る。
次に訪ねるのは宮城県気仙沼市の「風待ち地区」。仙台藩の重要な港町だった歴史ある気仙沼には、東日本大震災前、昭和4年の大火の後に建てられた建物が多く残っていた。
そうした建物に愛着と誇りを持つ人々によって「風待ち研究会」が平成14年につくられ、文化財登録のための書面や図面が作られていた。
震災後、全半壊した建物が次々と撤去されていく中、研究会が中心となり、建物の所有者とともに「気仙沼風待ち復興検討会」が設立され、被災した国登録有形文化財の復旧・再建が始まった。
2016年に再建されたそのひとつ、明治38(1905)年創業の酒造店「角星」や、津波で3階建ての1、2階が崩れた男山本店(2020年再建)など、それらをひとつひとつ訪ね歩き、家族間でも再建か解体かで揺れ動いたという現在までの道のりを聞く。
その他、元日銀支店長の役宅など豪華な木造建築や、昔の風情を今に伝える花街(写真②)など、狭い範囲に多くの文化遺産が集中する新潟市中央区古町をはじめ、没後100年経っても地元の人に崇敬されるド・ロ神父が女性のための授産場として建てた「旧出津救助院」などの足跡が今も残り、世界文化遺産にも登録された長崎市の外海まで。住人たちが生き生きと暮らし、旅人を町ならではのもてなしで迎えてくれる12の町をめぐる。
自由な外出もままならぬ今、いつの日かを待ちわびながら、誌上での町歩きが堪能できるおすすめ本。
(新潮社 2000円+税)