「中国料理の世界史」岩間一弘氏
「昨日の夕食は家族で餃子をつくった」「寒いから昼は熱々の麻婆豆腐定食にしよう」。こんなふうに、中国料理ほど日本人の食生活に溶け込んでいる料理は他にない。ロシアのボルシチやイギリスのフィッシュ&チップスが毎日の献立に根付いているという日本人はそう多くはないはずだ。
「実はこの現象、日本に限ったことではありません。中国料理は世界中に広がり、人々の食生活の中で確固たる地位を築いています。いったいなぜ、どうやって、中国料理はこれほどまでにさまざまな国に根付いていったのか。そんな疑問を解き明かすため、近現代史の観点から徹底的に調べ尽くして執筆したのが本書です」
■国民食ラーメンのルーツは「鴨汁そば」
例えば、日本の国民食となっているラーメン。その先駆けに位置付けられている「南京そば」が日本の印刷物に初めて登場したのは、明治17年だ。ここから遡ること13年前、日清修好条規が結ばれ、華人は法的承認と領事による保護を得ることとなった。南京そばが登場した印刷物とは、函館の「養和軒」という洋食屋の広告で、ここで働いていた中国人料理人がつくった鴨汁そばが、現在のラーメンにつながっていると著者は言う。
「その国の料理が他国に広まる背景には、帝国主義的な要因と無縁ではありません。例えば、清が朝鮮に対して植民地主義的な政策を実行したことが、朝鮮における中国料理の普及につながりました。あるいは、帝国日本が台湾及び中国大陸に勢力を拡大したことで、中国料理が日本に伝わるようにもなりました。帝国主義・植民地主義の拡張とともに、中国料理が世界に広まった側面もあります」
一方で、中国料理には帝国主義の拡大とは異なる方法でも世界に溶け込んでいった。その大きな役割を果たしていたのが、華人の存在である。
「海外に渡った中国人はあらゆる国にチャイナタウンをつくり上げ、華人として中国料理を現地に伝えました。さらに、中国料理の“強火で炒める”という調理法は、現地の食材を代用しやすく、独自の変化を遂げつつも現地化しやすい要因となりました。素材の鮮度や繊細な味付けが肝となる日本料理では、こうはいかなかったでしょう」
中国料理には“4000年の歴史”があるから世界に広がったのではとも思えるが、ひとつの料理体系として中国料理の体裁が整ったのは、実は近年であることも本書は解説している。
「例えば、中国料理を代表する料理というイメージがある北京ダックですが、これが知られるようになったのは中華人民共和国になってから。つまり1949年以降です。さらに、日本人にも馴染みの深い四川・広東・北京・上海という中国4大料理の分類法も、20世紀後半以降に登場したものなのです」
つまり、華人はそれよりずっと以前から中国料理を各国に広め、現地の人々はそれを受け入れてきたわけだ。本書では、シンガポールの海南チキンライス、ベトナムのフォー、タイのパッタイ、インドネシアのナシゴレンなど各国の名物料理が実際には中国料理由来であり、西欧支配からの脱却やアジア回帰など現地の政治力学も働き、やがて国民食へと変化していった経緯も解き明かしている。
「食にまつわる誤った説は非常に多く、執筆にあたっては原典にたどり着くまで妥協せずに追求しました。中国料理と思われている天津飯は日本生まれだったり、逆に中華料理店の回転テーブルが日本発明という説は誤りだったりと、調査には苦労しましたが驚きの事実を記すことができました」
料理という切り口で世界の近現代史が見えてくる本書。勉強になり、かつお腹もすくこと請け合いだ。
▽いわま・かずひろ 1972年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。千葉商科大学教授などを経て2015年から慶応義塾大学文学部教授。専門は東アジア近現代史、食の文化交流史、中国都市史。著書に「上海大衆の誕生と変貌──近代新中間層の消費・動員・イベント」などがある。