「楽しい孤独 小林一茶はなぜ辞世の句を詠まなかったのか」大谷弘至氏

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 江戸時代に俳人として活躍した小林一茶。生涯に2万もの句を詠んでいるが、実は辞世の句を残していない。

「辞世の句は死の間際に詠むというより、死期が近づいたことを悟ったときにあらかじめ詠んでおくものなんですね。言ってみれば、死を美しく演出するものであり、自らの最期を飾るものです。江戸時代には俳人や歌人に限らず、時には庶民さえ辞世の句を詠むことがありました。たとえば西行は『願わくば花の下にて春死なむその如月のもちづきのころ』と、幻想的な世界に理想の死を詠んだ句を残しています。芭蕉も、正岡子規も残しています。だけど一茶は、そうはしなかった。その時その時に勝負の句をつくってきた一茶にとって辞世の句は、自分のポリシーに反することだったんです」

 本書は辞世の句を詠まなかった謎を解くと共に、苦難を越えて生き抜いた一茶の俳句を通して、「楽しく生きるヒント」をさぐる一冊だ。

 一茶は3歳で実母を亡くし、その後、継母とは折り合いが悪く、15歳で実家を追われ江戸に奉公に出されている。俳壇で俳諧宗匠としての地位を築いていくが、50歳で故郷の信州に戻る。その後、結婚するも妻子と死別し、再婚、再々婚を繰り返し、やがて大火で母屋を失う──。

 悲惨なことの多い人生だったが、一茶の句には嘆きを描いたものはなく、ジメジメ感がないのが特徴だ。

「『梅が香やどなたが来ても欠茶碗』という句がありますが、これは庵の茶碗はどれも欠けているけれど、悠然と構え弟子や友人の来訪を喜んでいる句。貧乏を受け入れ、楽しんでいる雰囲気が伝わってきますよね。他にも54歳のときに詠んだ『痩蛙まけるな一茶是に有』は、蛙合戦を眺めて楽しむ娯楽に材を得たものですが、痩蛙は51歳までおひとりさまだった一茶自身でもあり、天明の飢饉後の旅で出会った困窮した人々でもありました。そんな弱い立場の人に慈愛のまなざしを向け応援しているのです」

 実は、こうした一茶の生きざまには浄土真宗の教えが大きく影響していると著者は言う。

「浄土真宗の門徒だった一茶はあるがままという浄土真宗の教えを己の生き方としました。あるがままとは、己の感情もそう。一茶はどんなときも弱さをごまかさず自分を見つめ、また悲しみ、喜びを率直に言葉にしました。実際、一茶が娘を2歳で亡くしたときに詠んだ句では、死を受け入れられないという、父親としての気持ちを飾ることなく詠んでもいます。しかし、その後に詠んだ句からは、一切を阿弥陀仏に任せて生きようと言い、娘の死を乗り越えようとしていることがうかがえます」

 脳梗塞になり、後遺症が残ったときには、「ことしから丸儲けぞよ娑婆遊び」という句を詠み、生きにくいこの世だけど残りの人生を丸儲けだと思って存分に楽しむぞ、と言っている。歯をすべて失いつつも、新春をめでたいと詠む句もある。

「一茶は逆境であっても明るい光を見いだす強さを持ち、その姿勢は高齢になり体が不自由になっても変わりませんでした。自分で自分の老いを笑いとばし、自らの肉体の衰えも受け入れ、さらには自虐的な笑いに転じることも。こうしたことからも分かることは、一茶は有名な俳人としてではなく、阿弥陀仏を信仰する、あるがままに生きた一人の人間として亡くなりたいという思いがあったんです。自分の死を飾る辞世の句は、彼にとっては“わざくれ”、つまり不自然でわざとらしいことだった。だから辞世の句を詠まなかったんですね」

 自分を飾らず、あるがままを受け入れ生き抜いた一茶に、人生100年時代を生き抜くヒントが見つかりそうだ。 (中央公論新社 990円)

▽おおたに・ひろし 1980年、福岡県生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、二松学舎大学大学院文学研究科博士後期課程満期修了。2004年、俳句結社「古志」入会。現、主宰者。句集に「大旦」「蕾」。著書に「小林一茶」。

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