「笑うマトリョーシカ」早見和真氏
物語の主人公は、40代で官房長官にまで上りつめた民和党代議士の清家一郎。そしてもうひとり、清家と高校時代に出会い、今では秘書として清家を支える鈴木俊哉だ。ある日、清家のインタビューを担当した記者は、こんな違和感を覚える。
「この政治家は、誰かの操り人形なのではないか」
本作は政界のドロドロを描いた政治小説でもなければ、政治家の立志伝でもない。政治の世界を舞台にはしているものの、そこに描かれているのは「人間の本質とは何か」を問う、ある種政治よりも重く深いテーマだ。
「僕の小説の読者として交流がある代議士がいて、たまに食事をする機会もあったのですが、僕の話をやたら聞きたがるんですね。不思議に思っていたところ、テレビでその代議士が、僕が彼に話した言葉をそのまま持論として話していたんです。そのときは怒りなどはなく、むしろ、すとんと腑に落ちた感覚でした。“僕は何百人もいる彼のブレーンのひとりだったんだ”と」
彼の中は空洞で、何もない。けれど、周りの意見を真綿のように吸収する能力にたけているのではないか。それからは、代議士の意見はすべて誰か別の人のものと感じるようになり、ならば彼自身はいったい何者なのか、彼自身の人間性はどんなものなのかというイメージを膨らませ、本作の清家一郎が誕生したという。
「小説を書いたときは政治の世界はあくまでも舞台でしかなく、リアリティーを追求したわけではありませんでした。しかし完成してみると、“政治家ってまさにこういう人たちだよ”という感想を何人もの読者からいただいたんです。本人はとっぴなものを書いたつもりが、読者にはリアルと言われたのがおかしかったですね」
愛媛県の名門高校で出会った清家と俊哉。実は清家の実父は大物代議士で、銀座のクラブのホステスだった母と、祖母に育てられてきた。一方、俊哉は不動産業を営んでいた父親が贈収賄の罪で逮捕され、東京を追われてきたという秘密があった。清家はどこか小動物のような非力さを感じさせるが、何とかしてやりたいと思わせる不思議な魅力があった。
俊哉は自らブレーンを務め、清家を生徒会長へと押し上げる。やがて、清家は27歳で初当選、俊哉は政策担当秘書となり、共に政治の世界へ足を踏み入れていくのだが──。
■人をみくびり、断罪する風潮が気持ち悪い
「ある登場人物が言う『みくびるな』という言葉に、この物語のすべてを集約させました。世の中は今、人をみくびることにあふれていて、誰かのことを一方的に決めつけ断罪する風潮がある。僕は、自分でも自分の本質がいまだに分かりません。周りに見せているいい人の顔もひと皮むけばクソ野郎な自分が出てくるし、でももっと内側には人や社会に対して純粋な自分もいて、しかしそれが芯だとも思えません。だから、自分も分からない本質を、赤の他人に決めつけられてたまるかという気持ちがあるし、人をみくびって断罪する風潮が気持ち悪くて仕方ない。最近では、小室圭さんの騒動がいい例です」
本作は、ゲームブックに近い体験型の小説だと著者は言う。人をみくびり差配しているつもりになっている人、みくびられ悪意を向けられている人、それぞれで感情移入する登場人物も、そして読後感も違うだろう。そしてもっとも背筋が凍るのは、人をみくびっている自分に気づいていない人かもしれない。
「中高年男性の読者からの感想が多く寄せられているそうで、うれしい限りです。組織の中で酸いも甘いも知り尽くし、自分を偽って演じたり、みくびったりみくびられたりを経験してきたであろう世代の方に、ぜひ手に取っていただきたいですね」
(文藝春秋 1870円)
▽はやみ・かずまさ 1977年、神奈川県生まれ。2008年「ひゃくはち」で作家デビュー。15年「イノセント・デイズ」で日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)受賞。20年「店長がバカすぎて」で本屋大賞ノミネート、「ザ・ロイヤルファミリー」でJRA賞馬事文化賞と山本周五郎賞を受賞。「ぼくたちの家族」「小説王」など著書多数。