「虫を観る、虫を描く」川島逸郎著
研究者の論文などに用いられる細密な昆虫の標本(生物)画を手掛ける著者の作品集。
デジタル技術が進み、誰もが気軽に鮮明な標本写真を撮影できる現代に、標本画というジャンルが残っていることに疑問を抱く人も、ひとたびページを開けば、精密に描かれた昆虫たちの絵に見入ってしまうことだろう。
学術誌や学会誌などに掲載されるため、標本画には何よりも正確さが求められる。昆虫採集で人気のカブトムシは、その形の美しさが魅力だが、決して描きやすい虫ではないという。
甲虫の章の最初に掲載された「オオハンミョウモドキ」の金属光沢がある背面には、独特な凹凸に不規則な点刻がある。下絵を描く際には、常に実物と突き合わせ、照明を当てる角度を変化させることによって、その微妙な隆起を正確に読み取っていくという。さらに顕微鏡下で拡大した時に上翅に現れる眼状の「彫刻」まで正確に再現。
足や体から飛び出る毛も漏れなく描かれ、2次元の甲虫がまるで3D映像のような迫真の存在感を放つ。
学会誌の表紙を飾った「中国雲南省産ゴミムシダマシ科の1種」の標本画では、描画のもとになった標本通りに、右上翅の昆虫針を刺した痕跡まで正確に描く。
標本(資料)画である以上、そこを勇み足の「想像」で補ってはいけないからだという。
また、寄生蜂の一種「アオムシサムライコマユバチ」(写真①)などでは、種固有の形状を描写するために、実体顕微鏡での観察に加え、各部分を分解して簡易プレパラートとしてから生物顕微鏡を用いて観察した上で描写するなどの手法も用いられるそうだ。
これまで数多くの標本画を見てきたという昆虫学者の丸山宗利氏は、著者の標本画を「空前絶後の世界一」と絶賛する。
「簡素にして精緻」なその絵は、丸山氏によると昆虫の種によって異なる甲虫の体表の毛の根元のくぼみまで正確に描き分けられているという。
驚くことに、著者は絵を専門に学んだ経験はなく、すべてが独学でこうした作品を生み出すまでに至ったという。
甲虫や蜂、カゲロウのほかにも、種によって造形が異なる蜂の巣(写真②)や、ミノムシのさなぎ、さらに身近なセミやハエ、アリ、そしてそれぞれの生態や生活様式の特徴が如実に表れる昆虫の口や足の造形に注目してクローズアップして描きためた作品群まで集成。
一方で科学挿画としての標本画の意義や役割、そしてやりがいなど、著者がこれまで思索を重ねてきた創作哲学とともに、実際の制作の手順やテクニックまで惜しげもなく公開する。
かつて図書館で見た鳥の部分図によって著者がこの世界に導かれたように、本書を手にして後に続く人が必ず現れることだろう。
(グラフィック社 4180円)