須賀しのぶ(作家)
9月×日 高校野球秋の地区予選が始まった。夏の甲子園が終わったと思ったら、もう春の選抜に向けて新チームは動き出している。試合のスコアを確認しつつ、加藤弘士さんの「慶應高校野球部『まかせる力』が人を育てる」(新潮社 902円)を読む。昨年夏甲子園を制覇し、従来の高校野球のイメージを覆した彼らの姿とフィーバーぶりは記憶に新しい。高校野球変革の象徴として慶應の「エンジョイ・ベースボール」は称えられたが、「甲子園やプロ野球は盛り上がって見えるけれど、野球人口の減少は、野球に対する社会からの拒否反応」「賢明な親ほど、子どもに野球をやらせていないんじゃないか」という森林監督の言葉は鋭く重い。旧来の「勝たせる」監督による上意下達の野球教育では、今の社会で必要とされる人材は育たない。自ら考え、試行錯誤しつつ行動できる人間を育てることが、野球が生き残る道だという。選手や関係者、運営だけではなく、無責任に「青春」を求める空気も改めねばならないと痛感した。
9月×日 埼玉文学賞の最終候補群が送られてきた。年々応募作のレベルが向上しており、毎年この時期が楽しみである。ほぼ同時に、3年前正賞を受賞したアグニュー恭子さんよりデビュー作「世尊寺殿の猫」(論創社 1980円)をご恵贈いただいたので、こちらも大喜びで読み始めた。鎌倉末期、足利高国(後の直義)が主人公の歴史青春ミステリー。高国は、妹のために書の名人・世尊寺殿の手蹟を入手するよう母に命じられるが、目当ての世尊寺殿は「まみえたい猫がいる。猫と引き換えで書を渡す」と条件を出す。その真意とは? 謎解きの面白さもさることながら、作者は複雑な心のひだを描き出すのが巧い。素直で心優しい少年が人間を知り、権力闘争の中なすべきことを見つめ、歴史に名を残す「足利直義」への一歩を踏み出す。上質なビルドゥングスロマンでもある。地方文学賞からこうした素晴らしい作家が生まれたことは本当に喜ばしい。