奥野修司(作家)
8月×日 書籍の発売日が決定しているのに、まだ原稿の修正に追いまくられている。「高齢者の認知症は病気ではない」という、ちょっときわどい内容だが、ベースになったのは重度認知症高齢者たちの証言と彼らの手記である。まともに語れるはずがないと思われている彼らに、どうインタビューすればいいのか途方に暮れていたときである。北海道の方波見康雄先生に出会ってたくさんのヒントをいただいた。それが大きな自信になったことはいうまでもない。
方波見先生は昭和元年生まれだから、もうすぐ百寿者である。「医療とは何か」(藤原書店 2970円)は、長年、地元で生きる人たちの「いのちの声」に耳を傾け続けてきた町医者の医療魂がギュッと詰まった本だ。
先生の診療所を訪ねたのはずいぶん前だ。「お医者様 パソコン見ずに オレを見て」という川柳がある時代に、先生の診察は異色だった。対話によって患者の「いのちの声を聴く」という医療なのだ。病気だけではない、患者が抱える不安や日常の些事も受け止めようとする診察に、本物の医療を見た気がした。
いのちとは、私たちの体の中で奏でられている協奏曲や交響詩のようなもので、病気になれば生体内で「不協和音」になって音が乱れるという。それが表面化したのが「症状」なのだそうだ。もちろん大きな音も小さな音もある。臨床医とは、患者のそんな音に耳を傾けることなのだという。
方波見先生には「触診」さえも患者と医師の対話である。医療とは、患者との対話であり、町医者の仕事は「音にはじまり音におわる」のだという。もちろん病気によっては診療所だけでは手に負えないこともある。そのために最新の機器がある病院へ入院させるが、町医者を自負する先生は、病院医師との協働で治療するシステムまで作った。
医療とは何か、いのちとは何か。本書は私たちが忘れてしまった大切なことを思い出させてくれる。医療に関わる人なら、ぜひとも読んでもらいたい書である。